So-net無料ブログ作成

韓国併合(1910年)と明治憲法   日本近代史雑感(2) [日本の未来、経済、社会、法律]

 

1韓国併合条約

 

(1)韓国併合

「韓国併合」は、明治43年(1910年)の下記「韓国併合に関する条約」によりおこなわれた。

 

日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下は両国間の特殊にして親密なる関係を顧ひ相互の幸福を増進し、東洋の平和を永久に確保せむことを欲し、此の目的を達せんが為には韓国を日本帝国に併合するに如かざることを確信し茲に両国間に併合条約を締結することに決し、之が為日本国皇帝陛下は統監子爵寺内正毅を韓国皇帝陛下は内閣総理大臣李完用を各其の全権委員に任命せり因って右全権委員は会同協議の上左の諸條を協定せり

第1条 韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲
 第2条 日本国皇帝陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す
 第3条~第7条(略)
 第8条 本条約は日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下の裁可を経たるものにして公布の日より之を施行す
                                  明治43822
                                         統監 寺内正毅
                                         内閣総理大臣 李 完用

 

  韓国併合条約は明治43829日に発効しが、明治天皇は同日の韓国併合の詔書において「朕東洋の平和を永遠に維持し帝国の安全を将来に保障するの必要なるを念い・・・」と述べ、また、韓国皇帝はその詔勅(明治43822日)において「朕東洋の平和を鞏固ならしむるが為韓日両国の親密なる関係を以って彼我相和して一家をなすは相互万世の幸福を図るゆえんなるを念い・・・」と述べた。

2)併合と割譲

 美濃部達吉著・宮沢俊義補訂『日本国憲法原論』(初版昭和23年、補訂版昭和27年、有斐閣)は併合と割譲の違いについて次のように説明している。

   領土の変更は国際条約によって生ずるのを普通とする。条約による新領土の取得には、「他国より領土の一部の割譲を受ける場合」と「他国を併合する場合」との別があると述べる。そして、「国家併合」の場合においては被併合国は国家としての存立を失うのであるから、そのすべての国民は必然に併合国の国籍を取得するものでなければならぬ、すなわち対人高権も含めた国家の一切の権利を移転するものである。一部割譲の場合はこれに反して割譲地の住民は必ずしも割譲により当然にその国籍を変更するものではなく、従来の国籍を保有するかまたは国籍を変更するかは割譲条約によってこれを定るのを普通とする、と述べる。例えば、台湾割譲の場合、「台湾に住所を有する支那人は二年以内に不動産を処分して退去することを条件として支那の国籍を保有しうべく、この条件を充たさなかったものに限り条約締結後満二年を経て初めて日本の国籍を取得すべきもの」と定めた(明治28年下関条約5条)。樺太割譲の場合、ロシア人が不動産を処分して退去する場合のみならず依然その地に在住する者も従来の国籍を保有するものとし、日本人となすことを拒んだ。

(3)併合と植民地

 以上に述べたように「国家併合」の場合において、被併合国は国家としての存立を失い、そのすべての国民は必然に併合国の国籍を取得する。これは「内地延長主義」である。これに対して、イギリス帝国においては「植民地主義」がとられ、これは「独立の植民地に特有の発展をさせる主義」である。「イギリス帝国の構造」を図示すれば次のようになる。

  •       イギリス帝国の構造

     併合(Annexation)スコットランド、ウエールズ

     

     植民地 根拠―国際連盟規約22条「文明の委託」

       自治政府(Dominion自治領) 豪州、ニュージーラン

  •                                ド、カナダ、南ア 

       属領(Crown Colony王領属地)インド

       その他  海峡植民地

            島

     

     

     日本政府は、台湾は割譲、パラオは委任統治、朝鮮は併合で、これらはイギリス帝国の構造との比較でみれば実質的に植民地とは言えない、それゆえ、併合された朝鮮についても一貫して植民地でないとしていた。

  • 2憲法と制令 
  • (1)憲法全面適用説―日本政府
  •  韓国併合にともない大日本帝国憲法の適用が問題となった。これについて日本政府は「全面適用説」をとった。帝国が統治権を行使する全領域において帝国憲法は施行されると解したのである。すなわち、帝国憲法4条が「天皇は・・・統治権を総攬しこの憲法の条規に依り之を行ふ」と定めるところに依拠して、朝鮮統治は天皇の統治権によると解し、かつ天皇による統治においては「憲法典は外地にも行わるるが、その場合憲法の例外的統治ー施行せざる条章のあることーは是認される」とも解したのである。そして、この「憲法の例外的統治の仕組み」として「朝鮮においては法律を要する事項は朝鮮総督の命令を以て」するとし、この命令を「制令」と称することとした。この統治の仕組みに係る「朝鮮に施行すべき法令に関する件(法律30号明治44年)」は以下の通りである
  • 1条 朝鮮においては法律を要する事項は朝鮮総督の命令を以てこれを規定することを得
  1. 2条 前条の命令は内閣総理大臣を経て勅裁を請うべし

    3条 臨時緊急を要する場合においては朝鮮総督は直ちに第1条の命令を発することを得

    4条 法律の全部又は一部を朝鮮に施行するを要するものは勅令を以てこれを定む

    5条 第1条の命令は第4条により朝鮮に施行したる法律および特に朝鮮に施行する目的を以て制定したる法律および勅令に違背することを得ず

    6条 第1条の命令は制令と称す

     

    (2)憲法段階的適用説―美濃部達吉

     しかし、以上の日本政府による帝国憲法全面的適用説に対しては、憲法学の美濃部達吉はこれを厳しく批判し、次のように論じていた。

     

    (法律上の植民地[外地]

     美濃部は 「法律上の植民地」という概念を立て、「法律上の植民地」は「本国の国法 上又は国際法上の属地にして本国とは原則として其の行わるる所の法を異にするもの」をいうとした。この定義に当てはまるものは朝鮮、台湾、樺太及び関東州租借地(もっぱら日本の統治権に服しているが、潜在的に清国の統治権が存在しているという特殊な属地)で、いずれも日本の国法上の領域に属するものである。現在は日本には国際法上の属地というべきものは全くない(大正2年現在)。北海道及び沖縄県は今日原則すべての法律勅令が本国と同一に行われているで、これを法律上植民地ということはできない。

     

    (植民地[外地]の法)

     美濃部は、内地と各植民地(外地)とは各々別の法域を為している。問題と

    なるのは憲法が新領土にも効力を及ぼすべきであるかという点である。台湾、朝鮮においては少しも「憲法政治」が行われていないので、憲法は新領土において効力を有しているとはいえないと論じて、以下の諸点が問題であるとした。

    第一に、国民に参政権が与えられていない。

    第二に、立法権と行政権が分離されず、総督において行政権を有し、及び議会の協賛を得ることなく法規を定めているので立法権をも有していることになる。

    第三に、司法権も、総督が裁判官に休職を命ずることができるので、完全に独立しているとはいえない。

    第四に、兵役の義務を負っていない。

    第五に、日本臣民は等しく公職に就くことができるにも関わらず、国会議員はおろか、内地にて文武の官職に就くこともできない。

     

     以上のように美濃部の批判は、帝国憲法4条に定める天皇の統治権による統治が行われていないとするものではなく、参政権、立法権、行政権、さらには司法権まで不完全な形でしか帝国憲法が施行されていないとするものである。後になって「土着人が既に完全に日本に同化して在来の帝国臣民と区別することの出来ない時分に至る」ときには「参政権を与え兵役の義務を課すことはでき」るとしていたのであって、「帝国憲法不適用説」というよりは「帝国憲法段階的適用説」と言うべき説であった。

     

     現に、これを「参政権」についてみれば、自治のための議会が設置されず、帝国議会議員の選挙権・被選挙権は、朝鮮出身者で内地に居住する者にはこれを認め、また朝鮮に居住する内地出身者にはこれを認めないとする変則的なものであった(注1)。この結果、朝鮮出身の衆議院議員は数名が存在したことに止まり、また、貴族院議員も朝鮮貴族の一部が議席を得るに止まった。しかし、ともかくも太平洋戦争末期には7人の朝鮮出身者が帝国議会の議席を得るに至っていた。

  2. (注1)「参政権」について以下の叙述に接したので、そこでの問題点を指摘しておきたい。

  3. 「そもそも、帝国憲法が施行されなかった以上、朝鮮半島にいる朝鮮人には参政権は与えられなかった。・・・・朝鮮人はどこまでも政治から排除されたのである。だが、参政権の問題については朝鮮人に連動して日本人にも与えられなかった。これは在朝日本人の大きな不満となった」(趙景達『植民地朝鮮と日本』岩波新書、2013年 22頁)。

  4.     第一に、ここで「帝国憲法が施行されなかった」という点について、すでに本文に述べた通り、日本政府は、朝鮮には帝国憲法4条に定める天皇の統治権による統治がおこなわれ、同地にも帝国憲法が施行されているという立場を取っていたことは明らかである。第二に、「朝鮮半島にいる朝鮮人には参政権は与えられなかった。・・・・朝鮮人はどこまでも政治から排除されたのである」という叙述も、本文で述べたとおり、「帝国議会議員の選挙権・被選挙権は、朝鮮出身者で内地に居住する者にはこれを認め、また朝鮮に居住する内地出身者にはこれを認めないとする変則的なものであった」のであり、ここでは「内地居住の朝鮮人出身者には参政権が与えられていた」ことの叙述を合わせて行うことが、参政権に係る制度の全体構造の正確な理解のためには必要であったろう。この全体構造のもとでは、朝鮮人は、総督府の諮問機関として設置された中枢院の機能とあいまって、かならずしも「どこまでも政治から排除された」とまでは言いえないのではなかろうか。なお、衆議院議員選挙法の朝鮮施行の機運は、太平洋戦争の開戦後には徴兵制度、義務教育制度、陸海軍特別志願兵制度などが実施され、それらにともない徐々に高まって来ていた。第三に、「参政権の問題については朝鮮人に連動して日本人にも与えられなかった。これは在朝日本人の大きな不満となった」という叙述も、「在朝日本人の大きな不満」の原因が日本人には内地でも朝鮮半島でも参政権を行使しうるとすべきであるということから来ているとすると、それは日本人と朝鮮人の間に参政権の行使について差別を認めるということになり、帝国憲法における法の前の平等原則に反する主張ということになろう。このような「不満」には正当性がないことが指摘されてもおかしくはなかったであろう。

     

         また、「兵役」に関しては、併合当初から朝鮮出身者には士官学校に入学して日本軍の将官・士官になる事も許されており(台湾出身者には許されなかった)事実尉佐官の数は四千人に及び、陸軍中将進級者も複数あった。

     

 3 

   おわりに

  1.  今日歴史学会においては、以下のような認識をめぐって研究が行われている。

     

    「「帝国」日本の近代法は、その「版図」にある異民族に対して一面では内地延長を標榜して「日本人」への包摂を試みながら、他面では「内地」との法的平等を排除し、差別・格差を構造化するものだった。」

     

     これは、「大日本帝国が「中心―周縁関係」のもとに結合する複合的かつ階層的な国家システムであった」とする認識であるが、この点について論ずるためには、すでに美濃部について述べたように帝国憲法の段階的適用がどこまで進んだといえるか、また日本政府の企図した帝国憲法全面的適用の実態がどこまで形成されえたといえるかについての実証的検討がなお必要とされよう。この進捗状況の一つの証左は、ロシアから割譲された樺太が後にその取扱いが「外地」から「内地」に変更されたことである。

     

     

     

     


「憲法九条二項残せば自衛隊に制約残る」か [日本の未来、経済、社会、法律]

   (追記)
 憲法九条二項の意義
   帝国議会における帝国憲法改正案の衆議院および貴族院における審議において、憲法九条二項の条文の構造の理解として、一文の「戦力不保持の規定」が「物的、人的に武力を持ってはならぬ」ことを定め、二文の「交戦権の否定の規定」が「法律面から」武力の行使を禁止し、この二段構えの規定により一切の場合に於いて戦争の起こらないようにしていると説明されています。

 

 そして、憲法九条一項と二項の関係について、一項では戦争放棄について「他国との間の紛争の解決の手段として」という条件が付いており、この場合「防御的戦争」が一項に含まれるか否かの疑問が生じるので、二項に於いて「一切の場合における(戦争のー筆者)手段を封鎖」することとし、一項よりも禁止の範囲を広くして自衛の戦争をも禁止するものとした、と説明されています。

 

 以上の憲法審議の示すところは、二項における「前項の目的を達するため」という「芦田修正」の前に於いては、一項より禁止範囲の広い二項は「防御的戦争」をも禁止するものであったことがわかります。

 

 なぜこのような極端な絶対的平和主義の条文が政府原案となったのか、その理由が明らかにされる必要があるでしょう。

 

    この点、憲法改正案の審議においては、既述の通り不戦条約に於いて侵略による戦争は禁止されるが、自衛の為の戦争および制裁の戦争(ある国が他の国に対して違法に戦争に訴えた場合、第三国が当該「他の国」を援助して当該「ある国」に武力を行使する場合、この第三国の行う戦争は「制裁の戦争」として不戦条約のもとで許容される。)は適法な戦争であり、憲法改正草案九条一項の戦争放棄においてもこれらは許されるはずなのに、同条二項においてこれら適法な戦争をも否定するのはいかなる意味であるかという点をめぐって質疑が行われていました。

 

    この点についての政府答弁は、日本国が侵略を受けた場合「国際法団体に依る安全保障制度」(国際連合)のもとで当該侵略国は制裁を受け、日本国の独立は維持されるのであるから、自衛の戦争は必要なく、制裁戦争に参加できないことについては日本国の戦力不保持の趣旨について各国の了解をとればよい、というものでした。

 

 このような極端な絶対的平和主義によっては日本国の安全が保障されないものであることは自明のことであり、従って芦田修正により九条二項が自衛の戦争と制裁の戦争を許す九条一項における戦争の放棄の規定内容を「確認」する規定に修正されたことは、政府の憲法草案第九条の条文の構造を「根底から変える」決定的に重要なことでした。この修正により憲法九条の条文構造は不戦条約一条と同じ構造となったのでありました。芦田均『新憲法解釈』(ダイヤモンド社 昭和21年11月、36頁)はこの点について次のように述べています。

 

「第九条の規定が戦争・・・を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合であって、これを実際の場合に適用すれば、侵略戦争といふことになる。従って自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。また侵略に対して制裁を加える場合の戦争もこの条文の適用以外である。これらの場合には戦争そのものが国際法上の上からも適法と認められているのであって、千九百二十一年の不戦条約や国際連合憲章に於いても明白にこのことを規定しているのである」


   もし政府原案の憲法九条一項・二項のままで日本国憲法が制定されておりましたら、今日の自衛隊の存在を根拠づける法的基礎(最高裁砂川事件判決における自衛戦力合憲判断)はなく、我が国の安全保障は百パーセント外国の軍隊(米軍)に依存するものとなるしかなかったでしょう。そして、米国の政治情勢如何では東西冷戦の真っただ中で羅針盤のない大海中の小舟となり、主権国家としての独立性は大いに損なわれて「米国の惨めな属国」となっていたかもしれません。この意味で日本国民は「芦田修正」を実現させた芦田均という政治家とそれを支えた政党にいくら感謝しても感謝しきれないものがありましょう。

 

    なお、この「芦田修正」については若干の注釈が必要でしょう。

(1)政府原案は、憲法九条一項は自衛の戦争と制裁の戦争を許すが、九条二項が自衛の戦争の為の戦力もそれに係る交戦権もすべて保持を禁止するので、結果として憲法九条はすべての戦争を禁止するという条文構造のものでした。

(2)芦田修正は、当初、憲法九条の政府原案の条文構造はそのまま維持しつつ、その趣旨を一層徹底するために、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」を九条一項冒頭に加え、九条二項はこれを受けてその冒頭に「この目的を達するため」という文言を加えたものと解されていました。このことは、芦田の「憲法改正案委員会」委員長としての昭和二十一年八月二十二日衆議院本会議に於ける委員長報告に明らかです(同上趣旨の報告を行っています)。

(3)しかし、芦田はその後、九条二項の「前項の目的を達するため」という文言の「前項の目的」は「国際平和の・・・希求」ではなく、「国権の発動たる戦争・・・を放棄する」ことであると解釈を変えていきます。この芦田の解釈の変遷を進藤栄一「解題ー日記と人と生涯ー」(芦田均日記第一巻 岩波書店 1986年 所収)は次のように述べています。

 「(昭和二十一年八月末から十月初めにかけての貴族院における第九条論議が佐々木惣一、牧野英一、高柳賢三などにより、日本の軍備の可能性を第九条の解釈の枠内でなお残すべきという方向で行われ)そうした議論を耳にしながら芦田は、第九条第二項の冒頭の修正の当初の意味を捉え直し、ケロッグ・ブリアン協定の系譜のなかで位置づけ直していたとしてもおかしくはない」。

(4)「芦田修正」といわれるものが、当初の解釈(解釈1)から前掲の芦田均『新憲法解釈』における解釈(解釈2)に変容したということは、以上の幾つかの引用文からみて間違いのないものといってよいでしょう。従って、改正憲法9条2項冒頭の「芦田修正」という言葉で表されている文言は解釈2なのです。

 

(本文)

 自民党総裁候補石破茂氏は、産経新聞「単刀直言」で、安部晋三首相の掲げる憲法九条二項を維持したままで「自衛隊の存在」明記する九条三項を新設する憲法改正案を批判して、それでは憲法を理由として自衛隊に係るさまざまな制約がそのまま残されると述べています。たとえば、「戦力の保持」を禁止する九条二項が存置されたままでは「ヘリコプター搭載護衛艦」の建造に際して、これは禁止された「戦力」に当たらず、海上自衛隊の有しうる「必要最小限度の実力」であるという説明を国会で続けなければならなくなる、などです。石破氏の九条改正案は、端的に九条二項を削除するというものです(産経20180917)。

 

 憲法九条二項の意義

 

(1)憲法九条一項―「戦争の放棄」と「自衛の戦争」

 

そこで憲法九条二項の意義はどこにあるのかということが改めて問題となります。この問題を考えるにはまず「憲法九条の構造」をみる必要があります。憲法九条はその一項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を放棄する」と規定します。この「戦争放棄条項」は、パリ不戦条約(一九二八年八月)の第一項および第二項(および国連憲章第五一条)の規定を「国内法化」したものと考えられます。すなわち、パリ不戦条約は「締約国は国際紛争解決の為戦争に訴うることを非とし」且つ「相互の関係に於いて国家の政策の手段としての戦争を抛棄すること」を宣言すると規定し(一項)、締約国は一切の紛争を平和的手段によって解決することを約す(二項)と規定しています。このようなパリ不戦条約は、自衛や制裁の場合以外の攻撃戦争を全面的に禁止し、同時に紛争の平和的解決を義務づけるもので、「国際法における戦争の地位の転換を表現するもの」(三省堂・国際関係法辞典二版)です。

 

国際法に於いて「戦争の地位の転換」は、中世の「正戦論」から十八世紀には「無差別戦争観」へと変わり、第一次大戦後の国際連盟規約、不戦条約において「戦争の制限、さらに違法化」へと変わってきたものです。今日では国連憲章下で戦争または国際関係における武力行使、さらに武力による威嚇さえも違法な侵略ないし国際犯罪として禁止されるに至っています。この「戦争の違法化」が国際条約法として確立することにより許される戦争としての「自衛の戦争」ということが問題となり、今日「武力を行使する国はその正当化のために国連憲章上の自衛権(同憲章五一条)を援用するのが常」となっています(三省堂・国際関係法辞典二版)。

 

 以上のように不戦条約、国際連合憲章において「自衛の戦争」が許容されるものであるとしますと、日本国憲法九条一項の戦争の抛棄条項においても国連憲章五一条の認める自衛権の存在と自衛の戦争を行うことを否定するものではないと考えられることになります。

 

(2)憲法九条二項―「戦力の不保持」と「自衛の戦争」

 

 そこで次に九条二項ですが、同項は「陸海空軍その他の戦力」の不保持を定めますので九条一項の「戦争の放棄」との関係が問題となります。九条二項は「前項の目的を達するため」と定めますので、一項と二項の関係は「違法な戦争は放棄する、その為の戦力も保持しない」という論理構造になると考えられます(二項は一項の確認規定で、戦争放棄 の意味を具体的に明確化したものであり、内容的には一項と同一となります)。つまり、九条一項で「自衛の戦争」は許されるとしますと、同項で禁止されているのはそれ以外の戦争(侵略戦争)やその他の武力による威嚇となり、従って九条二項で保持を禁じられた「陸海空軍その他の戦力」も自衛の戦争以外の戦争(侵略戦争)やそのたの武力の威嚇のための「戦力」となります。

 

 そうしますと、次に「自衛の戦力」の水準ということが問題となります。この点に関する日本国政府および最高裁(砂川事件判決)の九条二項についての解釈は、陸海空自衛隊の保有しうる「戦力」は「必要最小限度の実力」というものであり、これでは東西冷戦下にあってはソ連に対する軍事的抑止力としては足りませんから、その足りない部分は安保条約に基づいてアメリカ軍の戦力がそれを埋めるというものでした。こんにち、冷戦時代のソ連を引き継ぐロシアの戦力に加えて台頭著しい中国の戦力も近年加わりましたから自衛隊の「戦力」の不足分を埋めるアメリカ軍の戦力も一層巨大なものとなり、それに耐えられないアメリカは日本の自衛隊の「戦力」の増強を強く求めることになっているわけです。

 

 「自衛の戦力」の水準は「最小限」としましても、なにが最小限かは相手の戦力との関係により変わってきます。中国が尖閣諸島に「失地回復のための自衛の戦争」を仕掛けてきた場合、琉球列島を巡る長期に亘る戦争となり、これをくい止め撃退するためには日米合同の中国の戦力を上回る「自衛の戦力」が必要となります。軍事力の有する抑止力は「戦力均衡」の場合にのみ効果を有し、自己の戦力が相手方に対して二倍であるとすると相手に対して侵攻する誘惑にかられるでしょう。そうしますと有効な抑止効果を発揮しうる「最小限の自衛の戦力」は上記の例ですと日米合同で中国と同規模またはそれ以上の水準のものであるということになります。現在の日本の防衛費は五兆円台であり、アメリカ軍の戦力分をリプレイスするとしますと二十三兆円の防衛費が必要となるとの試算が軍事評論家により出されています(これにより賄われる「戦力」が最終的な「最小限(の戦力)」となります)。この額は現在の政府予算の四分の一に当たります。社会保障費や社会インフラ建設費を削減し、消費税を20%程度に引き上げることになりましょう。旧陸海軍の軍事費は国家予算の半分でしたから、日本国の主権を維持し、国土・領海を守るためには将来的ー「軍事的半独立国」を脱して真の主権国家として独立する日ーにはそのような状態を覚悟しなければならないものと思われます。

 

(3)憲法九条二項―「交戦権」と「自衛の戦争」

 

以上述べましたように、憲法九条二項のもとで陸戦、海戦、空戦による「自衛の戦争」は行いうるものとなります。

 

 そこで次に「自衛の戦争」においても、交戦国間の戦闘の手段(使用の許される兵器の種類など)と方法(砲爆撃や奇計など)、捕虜および文民の人道的待遇などについて定める「交戦法規」(ジュネーブ条約やハーグ条約)の適用が認められるか否かが問題となります。これは認められると考えられます。条文上の根拠としては、九条二項において「前項の目的を達するため」定めるところは九条二項二文の「国の交戦権は、これを認めない」まで掛かると読むことになります。ここでの交戦権の否認は侵略戦争の場合に限られ、自衛の戦争の場合は交戦法規の適用は当然あることになります(論理的には「戦争放棄=戦力不保持=交戦権否認、但し自衛の戦争の場合を除く」となりましょう)。

 

 交戦権について石破氏は「ハーグ条約では、相手国に向かう船の臨検や拿捕、積み荷の没収を認めていますが、私は国会で『日本は交戦権を認めていないのでできない』と嫌々ながら答弁してきました」と述べますが、臨検や拿捕をなぜ実施できないのでしょうか。

   第二次世界大戦において、米国・英国はフランスがドイツに降伏するやいなやフランス艦船を攻撃し沈没させました。これは接収されたフランス艦船がドイツの兵力となり対英戦に投入されることを防止する自衛の措置です。同様の事例はナポレオン戦争においてもあります。英仏が戦争状態にある時、中立国デンマークの海軍艦船を奪い合い、イギリスがそれら艦船を拿捕しましたが、これは英国の自衛の行動でした。これらのように自衛のための措置は第三国に対するものを含む幅広いものであり、相手国に向かう船の臨検、拿捕、積み荷の没収などは自衛の行動であり、自衛権の行使そのものであると言えます。

 

  憲法九条三項の新設―自衛の戦力保持と自衛権発動の要件の明文化

 

以上述べましたように憲法九条一項の戦争の放棄条項および同条二項の戦力の不保持条項のもとで不戦条約と国際連合憲章の認める自衛の戦力の保持は当然許されるものです。このことは日本国に限ることではなく、戦争の違法化が国際規範となった今日超大国を自認する国といえども国権の発動たる戦争を自由に行うことは出来ず、唯一許される戦争は自衛の戦争だけです。

 

そこで「自衛権の発動」についてはその「濫用」をどのようにして防止するかということが最大の問題となります。国際連盟規約、不戦条約、国際連合憲章はこの点に腐心し、さまざまな濫用防止のための制度を構築してきました。その現在の到達点は国連憲章五十一条と関連の手続きです。

 

日本の場合、憲法九条に三項を新設して「自衛の戦力の保持」を明文化し、これにより自衛隊を国軍として認知して、その上で自衛権発動の原則的な要件(緊急であること、武力行使を受けたこと、文民統制の徹底、国連との関係など)を、詳細は自衛隊法に規定するとして、定めることが、憲法を一層日本国民のためのものとするのに必要と考えられましょう。このような規定を置かずに、世界有数の軍事力保有国となった日本が、その国軍について憲法上の基礎を持たずに(国民主権を定める憲法による統制を受けないままに)、その自衛権発動の手続きも法律のみに任せておくというのも、「統帥権が機能不全を引き起こした」過去の歴史に鑑みれば些か不安なことです。

 

   

 


テニス全米オープン女子シングルス大阪なおみ選手優勝 [日本の未来、経済、社会、法律]

テニス全米オープン女子シングルスで大阪なおみ選手が強豪セレーナ・ウイリアムズ選手を破って優勝しました(2018910日読売新聞夕刊)

 

(1)大阪なおみ選手は、正々堂々の戦いぶりで見事決勝戦で相手方選手を撃破し、優勝しました(二〇一八年九月八日)

 

(2)相手方選手は試合中主審に暴言を吐き、ラケットをコートに投げつけるなど主審の審判への不満を自分の感情をコントロール出来ない様で公衆の面前で見せつけました。テニスの女王らしからぬ振る舞いです。テニスでは反則が試合中のコーチング、ラケットなど用具の乱用、暴言、暴行で、これらに対しては一度目は警告、二度目はポイント、三度目以降はゲームの相手方への譲与、退場の宣告、罰金です。セレーナ選手は三度の反則を取られ、ゲームを失い、罰金を科されました。

 

(3)観客の多くはセレーナを応援するあまり、反則を取られるたびにブーイング(the boos and whistles を行い、表彰式の時までブーイングを続けました。

 

(4)大阪選手はインタビューで、みなさんの期待通りの結果にして上げられなくてごめんなさいと謝りました(“I know everyone was cheering for her and I’m sorry it had to end like this”)

 

(5)セレーナ選手も観客もなおみ選手のこの対応に我を取り戻して、なおみ選手の偉業を賞賛しました。

 

(6)アメリカメディアは、男性主審はセレーナ・ウイリアムズ選手を女性故に差別したのかで甲論乙駁です。主審は審判規則に厳格に従ったまでで、全米オープンで主審が男女差別をするとか、そのような人物が主審に選ばれていると思うとか、そう考えること自体がアメリカ人が自分のプライドを自分で傷つけている行為であることに気づかないはずがないと思います。

 

 大阪なおみ選手は父親はハイチ系アメリカ人、母親は日本人の国籍日本の日本人です。母方の祖父は根室の漁業組合の理事長で、テレビインタビューでは孫の活躍に目を細めていました。なおみ選手は寿司やトンカツが大好きという二〇歳の女性です。

 

 筆者が少し驚きかつ感銘を受けたのは、なおみ選手の上の(1)(4)の行動が、筆者の感じる「日本人らしい行動」そのものだったからです。フェアープレーに徹し、敗者の思いに感情移入するというのは、日露戦争で乃木将軍が敗軍の将たるスッテセル将軍に軍人としての礼を尽くしてみせた行動と同じでありましょう。日本武士道の精華であり、英国騎士道の精華に通じるものであるとおもいます。このような日本人の形質は世代を超えて受け継がれて来たものであり、また受け継がれてゆくものだと感じました。

 

 

 

 


満州事変と自衛権(未完) [日本の未来、経済、社会、法律]

 日本近代史雑感(1)は「昭和天皇と杉浦重剛」でした。今回はその(2)です。

 ここで取り上げようとする「満州事変」とは、山川・日本史用語集によれば「1931-33年。柳条湖での南満州鉄道爆破を機に、東三省を武力占領し、満州国として独立させ、のち、熱河省をも占領した」ものであり、角川・日本史辞典によれば、「1931(昭和6)年9月18日の柳条溝事件によって開始された日本の満州(中国東北部)侵略戦争」です。

   

Ⅰ 国際連盟と満州事変―国際連盟紛争解決システムとその限界

 

    この「満州事変」について、昭和6年(1931年)9月21日在ジュネーブ中国政府(中華民国国民党政府)代表は、「9月18日より19日に至る夜間奉天に於いて発生せる事件より起れる日支間の紛争に関し・・・国際の平和を危殆ならしむ事態の此の上の進展を阻止するため即時手段をとらんこと」を国際連盟理事会に訴え、国際連盟はこの中国政府の正式出訴を受けて当該紛争の審査に乗り出しました。

 

 1919年設立の国際連盟に於いて、加盟国は「戦争に訴えざるの義務を受諾」すものでしたが(規約前文)、なお「戦争権」は保持していました。すなわち、連盟規約上の紛争処理手続(司法裁判等)を経た後(例えば、司法裁判に勝訴した後)に戦争に訴えることは許されていました(制裁のための戦争。紛争処理手続を経ない、あるいは敗訴した場合のみ戦争は許されないものでした。)。1928年に至り不戦条約(パリ不戦条約ないしブリアン・ケロッグ条約)が成立し戦争は一般的に禁止されるものとなりました(戦争の違法化)。不戦条約の下では「自衛の戦争」のみが合法とされました。

 

そこで満州事件における日本軍の行動は「自衛の戦争」に該当するか、さもなければ不戦条約違反の「違法な戦争(侵略戦争)」とみなされるべきものでした。中国政府は日本軍の行動は侵略戦争であると主張し、日本政府は自衛の戦争であると応戦したのです。

 

  国際連盟理事会決議1

 国際連盟理事会は、同年9月30日に日本を含めた理事国の全員一致で、次の事項を主たる内容とする決議を行いました。

(1)日本国は満州においてなんら領土的目的

         を 有するものでないこと、

(2)日本政府は「その臣民の生命の安全及びその財産の保護が有効に確保せらるるに従い」日本軍隊をできる限り速やかに「鉄道付属地内」に撤退させること、

(3)中国政府は「鉄道付属地外における日本臣民の安全及びその財産の保護の責任を負うべき」事。

 (2)で「鉄道付属地」というのは、日本が、19059月に「ポーツマス条約」によりロシアから譲渡された「南満州鉄道」の線路を保護するため、守備兵を維持していた地域のことです。この「譲渡」は190512月の北京条約により清国政府から承認されていました。

 

国際連盟理事会決議2―リットン調査団設置の決議

 国際連盟理事会は次いで12月10日に次の決議をおこないました。

(1)昭和6年9月30日の「理事会全会一致可決の決議を再び確認する」、

(2)この間に「事態更に重大化したるに鑑み…両当事国は此の上事態の悪化を避くに必要なる一切の措置をとること」、

(3)上記諸措置の実行とは関係なく、本「特殊なる事情に顧み」本件紛争の終局的且つ根本的解決に寄与させるため「一切の事情に関し実地に就き調査を遂げ 事会に報告せんが為五名よりなる委員会を任命する」こと。

 

日本代表は12月10日理事会決議を受諾するに当たり(2)について以下の留保をなしました。「(2)は、満州各地に於いて猖獗(しょうけつ)を極むる匪賊(ひぞく)及び不逞(ふてい)分子の活動に対し日本臣民の生命及び財産の保護に直接備うるに必要なるべき行動を日本軍が執ることを妨ぐるの趣旨に非ずとの了解の下に受諾する」。

また「一切の事情に関し実地に就き調査を遂げ」ための「リットン調査団」が組織されました。メンバーは英国からリットン伯爵、フランスからクローデル中将、イタリアからアルドロバンディー伯爵、ドイツからシュネー博士およびアメリカからマッコイ少将です。リットン調査団は、1932229日に東京に到着し、その後上海、南京、揚子江沿岸、北平、満州とまわって7月4日に東京に帰ってきました。同調査団の報告書は94日に国際連盟に提出されました。

 

  国際連盟総会―紛争の解決

昭和7年(1932年)2月12日に至り、中国政府は国際連盟理事会に対し連盟規約159項(紛争処理手続は連盟理事会から連盟総会に移しうる旨の規定)に基づき紛争を総会に付託することを要請しました。

 

 国際連盟はこの要請を受け入れ、昭和8年(1933年)227日には総会を開催し以下を採択しました。

(1)総会の審議の為提出された紛争の解決にについて「(連盟規約15条)第三項に より其の為すべき義務ありたる努力が失敗したること」の確認、

(2)「(連盟規約15条)第四項に基づき紛争の諸事実の記述及び右紛争に関し公正つ適当と認むる勧告を載せたる報告書」

 

 (2)のうちの「公正且つ適当と認める勧告」の内容は、1)南満州鉄道付属地外における日本軍隊を撤収させること、2)日本と中国は「(リットン調査団報告書に示された)諸原則及び条件」を基礎として紛争解決にあたること、です。

 (1)に明らかなように、決議の全会一致を原則とする国際連盟総会は結局中国の提訴に係る満州事変の処理に失敗しました。日本政府は、満州事変が自衛の行動であることを認めるか、認めないまでも明確には否定しないままで日本軍が南満州鉄道付属地への撤退するという内容の決議、すなわち連盟理事会による9月30日の決議と同様の決議であれば連盟規約15条3項による全会一致の解決を受け入れる可能性はあったと思われます。しかしこのような解決が出来なくなった結果、より厳しい内容の連盟規約15条4項の多数決による対日勧告ー「日本軍の南満州鉄道付属地内への撤収」と「日中の紛争解決努力」に係る勧告ーを決議することとなったのでした。

 

 

    この対日勧告のもとでは、日本軍の鉄道付属地への撤収には「鉄道付属地外に居住する日本人の生命と財産の安全」を日本軍に代って中国政府が保障することが前提となりますから、中国政府においてこれをなしえない場合には日本軍の駐留がその限りで正当化されることになり、当該駐留の最小限度に於いて日本の「鉄道付属地外に対する自衛権」を認めるものとならざるをえなかったのではないでしょうか。

 

 

   日本政府は国際連盟総会の決議を受けて国際連盟を脱退しますが、その理由は、ひとえに「九月十八日事件当時及び其の後に於ける日本軍の行動を以て自衛権の発動に非ずと臆断し・・・満州国成立の真相を無視し且つ同国を承認せる帝国の立場を否認し」たことでした(昭和8327日発表国際連盟脱退通告文)。ここには、自衛権の発動とは次元を異にした清朝復興を大義とする満州国の成立(民族自決)という事由が述べられており、これが満州事変の評価を自衛権の発動の是非に留まらないものとしたという側面もあったように思えます。


   日中両国による満州事件紛争処理のその後

  日本は国際連盟を脱退しましたから(昭和8327日国際連盟を脱退する旨国際連盟事務局長に通告。正式の脱退は二年後)、これ以降は、日本と中国は直接紛争解決のための二国間協議を行うこととなりました。

日本にとっての国際連盟脱退の結果ですが、国際連盟の設立を唱導したアメリカはそもそも発足時から国際連盟に加盟しておらず、日本の脱退に引き続きドイツ、イタリアも脱退し、ソ連も加盟していませんでした。国際連盟加盟国は五十か国を超えていたとはいえ、いわゆる「列強」で加盟しているのはイギリスとフランスの二国にとどまり、国際紛争解決機関としての国際連盟の役割は限局されるものでした。このことから言えば、日本が国際連盟脱退により国際社会からの孤立化を深めたというものでも必ずしもなかったのではないでしょうか。1930年代には米英、枢軸国、ソ連の間の植民地獲得を巡る利害対立は既存の国際機関や国際条約によっては調整不能なレベルにまで進んでおり、これら三極は第二次世界大戦の発火点への道をひた走っていたのだと思われます。

 

Ⅱ 満州事変における日本政府の「自衛の戦

争」論は成り立つか

 

 

1自衛権とは

      さて、すでに述べてきましたように満州事件における日本軍の行動は「自衛の戦争」に該当するか、さもなければ不戦条約違反の「違法な戦争(侵略戦争)」とみなされるべきものでした。中国政府は日本軍の行動は侵略戦争であると主張し、日本政府は自衛の戦争であると応戦したのです。その結果たる昭和82月の国際連盟総会は日本は規約違反国なりという決議を成立せしめえず、その決議は単なる勧告であって全加盟国を拘束するものではありませんでした。そこで次に同総会の決議内容たる「(連盟規約15条)第四項に基づき紛争の諸事実の記述及び右紛争に関し公正且つ適当と認むる勧告を載せたる報告書」のうちの「紛争の諸事実の記述」の部分の検討をおこなってみることにしましょう。この検討で核となる概念は「自衛権」とな何かということですから、まずその点をみておくことにしましょう。

 

「自衛権」とは、岩波・法律学小辞典(昭和12年)によれば、「国際法上で国家が自国又は自国民に対する急迫・不正の危害を除去するために已(や)むことを得ないで行う防衛の権利」です。この権利は、第一に他の手段によっては防衛しえないこと、第二に必要な限度を超えないことを要し、当該行為は他国の権利を侵害してもその違法性が阻却されて適法な行為となります。自衛権は国内法上の正当防衛権に当たるものです。自衛権に類似の権利に緊急権と自存権(自己保存権)があり、これらを含めて自衛権ということもあります(広義の自衛権)。

 

 

    自衛権の基本的性格―主権の作用

 

自衛権は、すべての主権国に固有のもの、すなわち国際法により与えられたものではなく、国際法によっても制限することのできない権利で、一般的には、武力攻撃の発生した場合に限られず一切の権利の侵害に対して認められるものであり、権利の侵害が現実に起こったときだけでなく、まさに起ころうとするときにも認められ、この後の方が自衛権の行使される本来の場合でした。これに対して、パリ不戦条約(1928年)は少し限定を加え、「すべての国は、いつでも、条約の規定にかかわりなく、攻撃または侵入に対して、自己の領土を防衛することが自由である」として、自衛権を武力攻撃発生の場合に限定しました(アメリカケロッグ国務長官、1928623日の通牒)。国連憲章51条前段はこのような考えを引きついでいます。

 

    自衛権の種類―個別的と集団的な自衛権の区分

 

つぎに、自衛権には個別的と集団的なものが区別されるということがあります。「集団的な自衛」というのは「武力攻撃を受けた国」と密接な連帯関係にある諸国が、攻撃を受けた国を援助し、攻撃に対して共同的に防衛することです。これを認める論理は、当該攻撃が「援助する国」への攻撃にまで及ぶ可能性があるので、援助することは自己の安全を防衛することになるというものです。この場合、援助する国の自衛権は間接的なものとなりますが、ここの部分の説明は、日本語の自衛権、英語のself-defenseが自己を防衛する権利という意味であるのに対して、フランス語のlegitime defenseは「正当防衛」であり、「正当防衛」は国内法上自己または他人の権利に対する急迫な、不当な侵害に対して防衛する権利でありますから、「密接な連帯関係にある他国に対する急迫・不正の危害」のおそれのある場合も防衛の行動をとることができるというものです(このような説明は、横田喜三郎・国際連合(昭和26年)によります)。

 

    自衛権の発動方法―自衛権発動の濫用の防止

 

自衛権には、その行使が正当なものであるか否かをどのように判断すればよいかという問題が常にあります。一般には、自衛権を行使する当事国がこれを判断するとされてきました。しかしその場合、武力攻撃の事実、真に必要な範囲の防衛行動であることの判断を当事国に任せるのでは自衛権の濫用を防ぐことができません。ここに、第一次的には当事国が判断するけれども、最終的には国際機関の審判と判定によるものでなければならないという思想が生まれてきました。国際連盟の紛争処理手続はこのような任務を担って創出されたものでした。

 

 

2 満州事変における日本政府の「自衛の戦争」論 

 

 


サッカーワールドカップ日本ベルギー戦を垣間見てー閑話休題(2) [日本の未来、経済、社会、法律]

  201873日、サッカーワールドカップ日本ベルギー戦を少しだけテレビの生中継で見ました。3日日本時間午前三時スタートの深夜の試合で見る予定はありませんでしたが、たまたま4時頃に起きてきたときテレビのスイッチを入れましたら、後半中途で乾選手が鮮やかなシュートで二点目を入れる場面でした。

 

しばらく見ておりますと、日本側がベルギー選手の持つボールをすぐ奪い返す場面が多く、日本側がボールをほとんど支配しているようにみえました。乾選手のシュートで二点目が決まった時のベルギー選手たちの表情はみなお通夜か、半泣きのようにみえました。なかなかやるジャンと思いつつ見ておりますと、後半の半ば過ぎにベルギー選手のヘディングでの緩い球が入り、一点返されました。この辺りから、ボールの支配権がベルギー側にあることが多くなったようにみえました。やがて二点目も入れられ同点となりました。

 

これは逆転されるなと思いつつテレビのスイッチを切って寝てしまいましたが、結果は終盤際にベルギーが3点目をとり、日本は「逆転惜敗」(朝のニュース)となりました。

 

日本―ベルギー戦の感想として、なによりも、日本選手がベルギー選手の持つボールを再三に亘り奪う場面は見事で、この状態を維持できれば、日本側に勝機は十分あった試合だったように思われます。この状態が途切れたようにみえたのは日本選手たちのスタミナ切れだったのではないでしょうか。90分という長丁場の試合では、最後はやはり体力勝負なのかなと思います。この点の克服策は簡単ではないと思いますが、できるだけ早めの選手交代も策になりうるでしょう。体力を維持できてもスキルがなくては勝てませんから、結局最終的には選手層の厚みの問題ということになるのかもしれません。ベルギーはこの辺りが、そのサッカーの歴史的経験の長さや多様なバックグランドを持った選手の取り揃えなど日本よりある意味で、つまり勝つためにはあらゆる手段をとることに躊躇しないといったほどの意味ですが、優れていたのかとも思われます。

 

 上記で日本側のスタミナ切れと書きましたが、試合後の選手のインタビュウで、2点獲得後3点目を目指して遮二無二突き進むか守備中心で行くか岐路があり、決然として前者で行くとは必ずしもならなかったかも知れない風の話があったと伝えられていました。そのような戦術的岐路が自覚されていたとしますと、あるいはほんの少しの背水の陣にかかる緊張の緩和が日本選手にあり、それがボール支配の変化と関連したかも知れないと思いました。スタミナ切れと戦術的迷いの隙を「赤い悪魔たち」に突かれたということになるのでしょうか。日本の戦術としてはこの場合、手負いの赤い悪魔たちが死に物狂いで打ちかかって来ることは自明のことですから、2点取った時点で気を緩めず2人(出来れば3人)の選手交替を行い、攻撃は最大の防御よろしくボール支配を実現し、だめ押しの3点目、4点目を狙って猛攻に打って出るべきだったように思えます。

 

ともあれサッカーワールドカップロシア大会(2018年)でのベスト8を賭けた日本の挑戦は終わりました。一言で言えば、善戦したということになるでしょう。先立つグループリーグ三戦目の対ポーランド戦最終8分の「無気力試合」には会場からブーイングが起こり、試合後にも「ルールに従った戦術的対応」であるにもかかわらず、さまざまに批判もありました。この点第一に、積極的に戦わなかったという点の批判については、ポーランドチームも一点先取で試合に勝てるところから「無気力」に対応した点にも同様の評価があってしかるべきだったでしょう。日本側にだけ批判が向けられた気味がありました。第二に、日本チームは、持ち点が同点の場合警告数の多寡でベスト16へ進むチームを決めるというルールの下で、警告数を増やさない戦術を西野監督がとったという点の批判については、「正面ガチンコ勝負」が「日本的対応」という日本人の精神構造があるとはいえ、警告数が少ないことは「日本的対応」の結果でもあり、それを基準とするルールに従った戦術をとるというのはあながち咎められることではなかったと思われます。

 

 小学生の時の体育の授業で、背が高いという理由だけでゴールキーパーを命じられたという経験しかない小生にとり、サッカーは野球やテニスのように親近感のあるスポーツではありませんが、いつの頃かプロのリーグが出来、それから数十年を経てワールドカップで準々決勝をめざすまで勝ち進むというのには今昔の感があります。いつの日か、体操、スケートなど世界的名声を獲得した種目についで、「日本的サッカー」を引っ提げて欧州の強豪チームと肩を並べる日の来ることを願わずにはいられませんこの点で思い出されるのは2008年に一年間ドイツのボンに滞在した時の思い出です。この年のサッカーヨーロッパ選手権を毎晩夜8時にテレビの前に陣取ってビール片手に観戦しました。トルコチームを含めて全チーム、これぞサッカーと思われるほどキレのある息も継がせぬ試合運びで、この期間毎試合が楽しみでした。結局全試合を観たのですが、サッカー専門のスポーツ雑誌を買ってきて付録で付いているスコアー表に毎晩各チームの成績を書き入れておりました。正直言いまして、ドイツの国内戦(Bundesliga)は冗長な試合も多くさして面白くありませんが、国対抗戦はさすがだと思わずにはいられません。

 

 一点、今回わずかの時間でしたが試合を見ていて気になったのは、ベルギー選手との接触もないのに一方的に日本選手にファールをとった審判のジャッジでした。日本選手も抗議の身振りでしたが、映像があるのにこのようなミスジャッジを平然と行う審判については、今回大会全試合を通じた審判の実態の検証があってしかるべきかと思いました。

 

 


加計学園獣医学部新設、安倍総理「首相のご意向」反映問題、衆院予算委員会閉会中審査 ー閑話休題 (1) [日本の未来、経済、社会、法律]

 2017年(平成29年)7月24日、加計学園の獣医学部新設問題の衆院閉会中審査がテレビで中継されています。主に民進党の議員が安倍首相の「ご意向」が新設に当たり影響したのではないかとの点について安倍首相に質しています。
     
     この問題はこれまで長い時間をかけて繰り返し議論されていますが、意向が働いたとも働かないともはっきりとした結論の出ないまま本日(2017年7月24日)もいわば「灰色の展開」が続いています。
     
     この問題に黒白をつけるには、議論が「政治家の倫理」ではなく「首相の行為の法令違反に係る違法性」の有無をめぐってのものであることを与野党間で確認し、その進め方については次のステップを踏むべきではないでしょうか。第一は、議論の根拠となる「証拠」を確定させることです。様々な証拠について「証拠能力」があると認められるためには、その証拠についての「反対尋問cross examination」を経ていることが必要です。具体的には、様々に存在している書類について、文科省に残っている書類について相応する書類(同一ないし類似文書)が内閣府においても存在しているもののみが「証拠能力」を獲得することができるということになるでしょう。一方においてしか存在しない書類はその内容について相手方の「認知・承認」を得ていない(cross examinationを経ていない)、証拠価値の低い単なる参考資料にとどまるものということになります。
 
 第二に、安倍首相の「ご意向」が加計学園獣医学部新設に働いたと言いうるには、国家戦略特区諮問会議に同学部新設案が上程され、議論が行われて、最後に承認されたという一連のプロセスが明らかにされる必要がありましょう。安倍首相の意向が働いたというためには、同諮問会議の民間から選出された委員を含む委員間の議論と決定のプロセスに首相の意向が反映されたことの具体的証明がなされること(首相の委員に対する個別的依頼を示す第三者の証言など)が必要です。特に、専門性・第三者性を期待されて民間から選出された委員が首相の意向に沿い、委員としての職権行使における自由・自主性を持った議論をなしえなかったことの個別具体的な立証が必要となりましょう。
 
 この問題に興味を持ちつつも、現在の日本国には国家・国民の安全保障と日本経済の再活性化のための総合戦略の立案という喫緊の課題があることを考えますと、国会審議のエネルギーの向けどころが違うのではないかとの違和感を禁じえません。 加計問題を上記の点の検討を中心として早急に処理し、違法行為の疑いがあるなら問題を司直の手にゆだねることが必要でしょう。そして、衆参両院のエネルギーを日本国の国益に係る問題に注力していただくことを願わずにはいられません。

日本国憲法第9条と自衛権ー櫻井よしこ氏の所説に思う [日本の未来、経済、社会、法律]

 

  櫻井よしこ氏は、「国際政治と安保に疎い“長老”たちの罪」(週刊新潮 連載コラム「日本ルネッサンス」660回、2015年6月25日号」において、河野洋平、村山富市、山崎拓、武村正義、藤井裕久、亀井静香氏らの長老議員たちには「軍事力への忌避感」があり、そのことからくる国防についての日本の「やる気のなさ」のゆえに「中国の対日侵略を招いた場合、政治家としてどう責任をとるのかを問いたい」と舌鋒鋭く迫っています。

 

 

 

 櫻井氏は「日本には国民を守るに足る十分な自力が備わっていない。現行憲法はそのようなことを禁ずる精神で作られており、だからこそ、戦後ずっと、アメリカが日本を守る形が整えられてきた。しかし、今、アメリカが自分たちは世界の警察ではないと言っているのだ。この状況下で日本国民の命と領土を守る力を日本国自身が身につけなければならないのは明らかだ。それを達成しようとしているのが、いま国会で議論されている安保法制である」と述べています。

 

 

 

  

  ここでの論理構成は、(1)現行憲法は、日本が国民を守る十分な自力を備えることを禁じる精神で作られており、(2)それゆえ、アメリカが日本を守る形が整えられてきた、(3)しかし、アメリカは今「世界の警察」である役割を担いきれず、(4)それゆえ、日本自身が身を守る力をつけなければならない時点に来ている、(5)集団的自衛権の導入も日本が自身で身を守る力をつけるための一工程だ、というものです。このような論理構成は全体としては受け入れられるものですが、(1)の憲法9条が「十分な自衛力保持を禁じる精神」で作られているという理解については問題があるように思えます。

 

  

改正の経緯

 

 

 

 日本国憲法は明治憲法の改正法です。同改正法は「将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に付すべし」との条項(明治憲法73条)に従って「勅命を以て」第90回臨時帝国議会に提出されたものであり、昭和天皇が「朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」とされたものです。

 

 

 

 この「改正」を巡っては、周知のとおり宮沢俊義氏の「8・15革命」説があり、明治憲法と現行憲法の「断絶」を主張しています。国民主権の現行憲法と君主主権の明治憲法とは「主権」の所在(憲法制定権力)が根本的に変わっている以上両者を同一のものとして「連続」線上に捉えることはできないー従って「改正」により両者を連続させることは論理的に成立しないーという主張です。

 

 

 

 櫻井氏の所説は、現行憲法はGHQの圧力のもとで外在的に制定されたものであり、第9条についても「国民を守るに足る十分な自力・・・を禁ずる精神で作られて」いると述べられるので、この「断絶説」に立っているのでしょう。

 

 

 

 しかしこの点、昭和天皇は、「朕は・・・深くよろこび・・・帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」と述べられているのであり、このお言葉には、「ご聖断」により「大東亜戦争」を終結せしめ、焦土の中から再び「新日本建設」に立ち上がらんとする「日本国民統合の象徴」(憲法1条)としての昭和天皇の、憲法改正を積極的に受け入れた上での、「新生日本」への固い決意ー「不戦の誓い」を含めてーが込められているのではないでしょうか。次の御製からは陛下のご決意が窺われるような気がいたします。

 

        

           松上雪 昭和二十一年歌会始

 

  ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ

 

             松ぞををしき人もかくあれ

 

      新憲法施行

 

  うれしくも国の掟のさだまりて

 

         あけゆく空のごとくもあるかな

 

 

 

 

憲法9条と自衛権

     

 日本国憲法9条は、「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇」又は「武力の行使」は「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定め(同条1項)、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めています(同条2項)。

 

 

 この憲法9条の立法趣旨の中核は、同条1項にあることは明確です。同項における「不戦の誓い」には尊いものがありましょう。それは「大東亜戦争」の目的は結果として達成された(英国の「アジアにおける植民地帝国」の崩壊や「GATTのもとでの自由貿易体制」の樹立など)ものである以上、もはや日本は「国権の発動たる戦争」を二度と行いはしないという強い決意の表明だからです。戦争はいかなる形で行われるものであっても国民の尊い犠牲を伴うものであり、出征する民の悲しみはひとしおのものではありません。与謝野晶子は日露戦争に際してかつて次のように詠いました。この歌は今も,すべての戦争遺族の心の叫びでしょう。そして、あらゆる子を持つ親の切なる願いでもありましょう。

 

 

「あゝおとうとよ、君を泣く

君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

 


堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

 


君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ

あゝおとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はで 別れたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ」

 ところで、明治憲法の改正後、日本を取り巻く安全保障環境は劇的に変化しています。最初の大変化は東西冷戦の勃発でした。この状況が1980年代に終息し、その後の「不安定な平和」が続く中、近年は中国の軍事的膨張、北朝鮮の核兵器開発という新たな脅威が発生しています。此処にいたって、憲法9条については「自衛権」ということについて解釈の枠組みを根本的に再検討する必要が生じています。その場合の検討事項は、第一に現行憲法上「自衛権」はどのような論理構成で認められることになるのか、第二にそのために必要な自衛力の整備の水準はどこまでなのかといった点でしょう。他国との軍事同盟がどこまで認められるかという点も検討事項となりましょう。 

 憲法9条の論理構造

 憲法9条の解釈について最高裁は、放棄される戦争等と戦力は「国際紛争解決手段としてのそれら」であって、日本国民の生命と安全を守り、領土・領海・領空に係る日本の主権を守るための「自衛戦争とそのための戦力の保持」は禁止されておらず、それゆえ憲法9条の解釈上自衛隊の存在は当然に認められるとしています(最高裁砂川事件判決で示された「自衛戦力合憲論」)。この最高裁のとる「自衛戦力合憲論」は、次のような憲法前文の「平和的生存権」の立場から見ても許容される解釈であると思われます。なぜなら、「急迫不正の侵害に対する自衛のための戦争」は「平和のうちに生存する権利」を回復させる戦争だからです。「全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

 このような憲法9条の文理解釈による「自衛戦力合憲論」は憲法立法時の芦田修正により可能となったものです(その経緯については、小関彰一『平和憲法の深層』(ちくま新書、2015年)122頁以下に詳しく述べられています)。憲法第9条1項で「永久にこれを放棄する」と定められているのは「国権の発動たる戦争」等であり、従って同条2項で「保持しない」と定められているのは「国権の発動たる戦争」等のために保有する「陸海空軍その他の戦力」であり、同項で「これを認めない」と定められているのは「国権の発動たる戦争」等を行うための「国の交戦権」です(「交戦権」は「交戦する権利一般」の意味でもあります(第1説)が、捕虜の処遇、占領地行政などに係る「戦時国際法のルールを適用するという権限」(第2説)の意味でもあります。ここでは第2説の意味です)。このような憲法9条1項および2項の解釈の反対解釈として、9条1項で「自衛の戦争」は許され、従って同条2項で「自衛のための陸海空軍その他の戦力」の保持も許され、「国の交戦権」も認められることになります(この場合、占領地行政を行うといった権限は、「自衛権」の行使が侵略を排除することに限定されることから、交戦権の範囲には含まれません)。このような文理解釈から「自然権」としての自衛の戦力の保持と交戦権を導き出すのは通常の法解釈論における反対解釈の範囲内であり、異とするにはなんら当たらないでしょう。このような反対解釈の内容はもし必要ならば憲法改正により、憲法9条に第3項ー例えば「日本国民は、自衛の戦力は、これを保持する」といった文言ーを加えて確認することも考えられましょう。このことにより「自衛隊」は正式に「国軍」として法制度上位置づけられることになります。なお、このような9条1項の「国権の発動たる戦争」の解釈は、それを「侵略戦争」に限るという解釈によるものであり(甲説)、他に「すべての戦争」を言うという解釈もあります(乙説)(甲説、乙説の論理構成については芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第六版』(岩波書店 2015年)54頁以下参照)。しかし今日、乙説によることは、9条2項の「前項の目的を達するため」という文言の入って来た立法の経緯に整合せず、また論理的に成立しえない「自衛権を放棄した主権国家」という観念によるものであり、さらに今日の日本を取り巻く安全保障状況についての「備えを忘れたあまりの楽観主義」によるものであるということになりましょう。

 上述のように櫻井よしこ氏は憲法9条について、「日本には国民を守るに足る十分な自力が備わっていない。現行憲法はそのようなことを禁ずる精神で作られており、だからこそ、戦後ずっと、アメリカが日本を守る形が整えられてきた」と述べています。しかしすでに述べましたように、憲法9条が「国民を守るに足る十分な自力を備えることを禁ずる精神で作られている」といったことは必ずしも史実というわけではなく、また法文解釈上もそのようにしか言えないものでもありません。反対に、憲法9条1項および2項のもとで日本が国民の生命と安全、さらにその主権を守るために「自衛の戦力」を当然保持することは、上述の帝国憲法改正を「深くよろこび」裁可せられた昭和天皇のいわば「第二のご聖断」と最高裁の憲法9条1項および2項に係る憲法判断、さらには近時の厳しさを増す日本を取り巻く安全保障環境の変容への対処の必要性とから、今日自明のことといわなければならないのではないでしょうか。

 この場合、「自衛の戦力」の水準は「他国に頼ることなく、国民の生命と安全、さらに日本国の主権を守るために必要とされる範囲」であって、保持される自衛力に上限がないこともまた明らかでしょう。なぜなら、自衛のための戦力が侵略国の戦力に均衡するものでなければ自衛の用をなさないものである以上、日本は自身を取り巻く時間的・空間的状況の中で十分な抑止力となる自衛力の水準をその時々の判断に応じて維持する必要があるからです。ことに、日本がエネルギーと食糧について大きく輸入に依存しており、産油国等からの長いシーレインの安全確保が喫緊であることから、シーレイン防衛のための「空母機動部隊」など高度の自衛力の保持も必要であると考えられましょう。

 このような「高度な自衛力を保持する」ことになりますと、「自衛の戦力」の「統帥のあり方」が問題となりましょう。この点、憲法66条2項においては「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と「文民統制」が明文で定められています。明治憲法下におけるような「現役武官大臣制」は明確に排除されており、「自衛の戦力」に対する民主的統制は徹底しています。

 以上述べてきましたことは、一言で申せば次のようになりましょう。明治憲法改正に際しての昭和天皇の「国権の発動たる戦争は二度としてはならない」という「不戦の誓い」を常に思い起こしつつ、他国からの侵略はこれを断固として阻止するに足る「自衛の戦力」を保持する、そのことにより日本国政府および日本国民は「万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス(大東亜戦争終結ノ詔書 昭和20年8月14日)」る陛下のお心に沿うことになりましょう。


日誌2016、2017 [日本の未来、経済、社会、法律]

   JapanLegalNews(JLN)を開設し、週一回は記事を載せようと思いましたが、到底そのようなことは不可能であることがわかりました。テーマの選定、ロジックの組み立て、基礎的データの収集、そして執筆という順序を踏もうとすると、常に寸断されている時間の流れの中では作業を継続することは不可能に近いものがあります。しかし、書きたいという衝動は常にあります。そこで、折にふれて知ったこと、感じたこと、メモで残したいことを日誌として数行でも書き残すということを考えつきました。いずれ一つ一つをきちんとした記事にしたいとの思いもあります。これならうまく行くことを願ってそれでは出発します。

2016年(平成28年)5月1日 日曜日 

日中外相会談 南シナ海巡り応酬 対北制裁履行は一致(読売新聞2016年5月1日)とあります。同紙見出しは「海洋問題中国に直言、「東シナ海」も提起、是々非々で対話継続、中国関係悪化は回避、「南シナ海」公式言及なし」と続けています。記事は、会談で中国外相は日中関係の改善に向けて日本に次の要求をしたと報じています。(1)歴史を直視・反省し、「一つの中国」政策を厳守する。(2)「中国脅威論」や「中国経済衰退論」を広めない。(3)相互の正当な利益を尊重し対抗意識を捨てる。これらの要求には中国の対日認識と戦略が良く表れているように思えます。それぞれについて少しコメントしてみましょう。

  第一は(3)で、日本に中国に対する対抗意識を捨てるように要求しています。歴史をみますと、アジアの近代において日清戦争、満州事変、支那事変(昭和12年、昭和16年12月以降は大東亜戦争と呼称)の全期間において日本が主導権、有り体に言えば覇権を握っていました。戦後大分経ち、1990年代末あたりから中国は日本のEEZ限界での石油の採掘や尖閣諸島の領有権主張など日本に挑戦するようになりました。思想面では、このころから中国は歴史的中華思想に目覚め、自己愛に基づく選民意識で日本に対すようになりました。

 それで現在日中は、アジアにおいて覇権を競っている状態にあるといえましょう。それで、中国が日本に対抗意識を捨てるように要求するのはこの覇権争いの一環ということになりますが、中国が「強気」になっている背景は、一方でもっぱら日本の資金と技術で1980年代以降の改革開放を成功させ、経済力で日本に匹敵するようになったという自負心であり、またその経済力で過去十数年に亘り軍事力を強化させ軍事強国になったという自負心でありましょう。しかし他方、この強気の背景には中国が国内の発展の限界に突き当たっていて、残された道は最も「弱い環」のように見える海洋と陸続きの東南アジア地域に進出するしかないというせっぱ詰まった事情があるからだともいえましょう。この中国国内の発展の限界をもたらしているのは、これまでの経済発展が外資だのみで「内発性」に乏しく、また産業基盤たる大気、水、土壌の汚染が進み、これらを改善するために必要な技術と巨額の資金にもあてがないこと、さらに地勢的に北にロシア、南にインド、西にイスラム圏がありこれらを軍事力で突破する可能性がないこと、でしょう。これら(中小企業を育成せず、公害を防止せず、「弱い環」に軍事的に突進する。)のことから、中国が日本のような「内需主導型経済」を創出する可能性がほとんどないことにすでにみずから気づいていて、またその気もないことがわかりましょう。

  この覇権争いは今後とも止まるところを知らずでしょうが、圧倒的に日本に有利であるといえるでしょう。なぜなら第一に、日本は自身の戦力に加えて日米同盟によりアメリカの強大な軍事力により守られており、中国がこれに敵するものではまったくないからです。第二に軍事力以外ですが、日本はあらゆる国際条約を誠実に遵守しており、争いがある場合国際司法裁判所に判断をゆだねるという姿勢を一貫して取っており、国際社会における「法の支配」に服しているからです。第三は、日本が政治における「議会制民主主義」、経済における「社会的市場経済」を高度に発展させており、日本国憲法のもとで「基本的人権の保障」も高度に実現しているからです。日本はこれらにより、世界の大多数の国ぐに・国民から先進国として認められ、その圧倒的信頼を得ています。第二、第三は「覇権」というより、市民社会の成熟度における優越性の問題というべきかもしれません。

  第二は(1)で、「歴史の直視と反省」です。近代の日本は中国との間においても国際紛争を解決する手段としての「国権の発動たる戦争」(憲法9条1項)をたびたび行ってきましたが、現在の日中両国は1978年の「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」により確固たる平和友好関係を築いており、日本においては歴史の直視と反省に欠けるところはありません。同条約は、両国が恒久的な平和友好関係を発展させること誓ったと規定し(同条約1条)、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉(以上1条)、覇権主義の否定(2条)、経済関係及び文化関係の一層の発展のための努力(3条)を定めています。日中関係のあらゆる面での理想はここに集約されており、あとはその誠実な遵守のみが両国に課せられています。

  第三は(2)ですが、日本では基本的人権が高度に保障されており、メディアにおいても個人においても表現の自由とそれを担保する報道の自由は完全に自由です。これらの市民的自由の行使に日本国政府が干渉・介入するべきことは現在なにもありません。日本における各種報道は「日本脅威論」「日本経済衰退論」を含めて、賛否さまざまに行われ、相互に打消し合って、帰着するところは概ね真実を含む事実です。このような人権保障による精神的自由(学問の自由、思想・良心の自由、表現の自由など)の確保こそが日本経済発展の基礎であり、日本社会における文化発展の土台です。これらの人権保障について日本政府が干渉を試みることは「自由の否定」となり、「日本の国益」に反することになりましょう。この点、「中国脅威論」や「中国経済衰退論」を広めるなといった中国政府の要求は、基本的人権の保障とは権力の発動を縛るものであって、国民の自由を縛るものではないという「人権原理」についての無理解の点はひとまず置くとして、自国の国力や経済力についての自信のなさの表れのようにもみえ、そもそも日中平和友好条約で自ら約した内政不干渉の原則に反するものであることは言うを待たないところでしょう。

2016年(平成28年)5月2日 月曜日

京大准教授に対北制裁、核研究総連から奨励金、再入国禁止措置産経新聞2016年5月2日)

 この報道には驚きました。また、京大までもという思いと非常な恐怖心もいだきました。北朝鮮の対日核攻撃があるとしたら東京中心部と関東駐留米軍基地に対してであることは火をみるよりも明らかであり、北朝鮮は、かつてのアメリカが広島と長崎に三日と空けずに原爆を投下したように、躊躇することなく核攻撃を仕掛けるに違いないからです。自衛隊のパトリオットミサイルが迎撃したとしても、すべてを打ち落とすことはできないように思えます。

 この京大准教授は原子力学が専門で、同大で中核的研究者として知られているとあります。同準教授の属する京大原理炉実験所のホームページを見ますと、その研究分野には原爆製造に直接間接に関わる原子力研究も含まれているようです。

 日本政府の「対北朝鮮独自制裁」は、制裁内容においては「在日外国人の核・ミサイル技術者の北朝鮮を渡航先とする再入国を禁ずる」ものであり、制裁措置既適用対象者は「朝鮮総連幹部らと傘下の在日朝鮮人科学技術協会構成員5人を含む計22人」です(同紙記事解説欄)。この22人中には原子力だけでなくロケットの研究者も含まれていることでしょう。

 北朝鮮の核兵器開発と長距離弾道ミサイル開発は、これまでの核実験や弾道ミサイル発射実験の新聞等報道からみますと完成の一歩手前にあるようです。北朝鮮の核兵器開発について驚愕を覚えるのは、これが核攻撃の最大の被害国となる日本の「マッチ・ポンプ」であったという事実です。日本の技術で日本が攻撃されるという最悪のシナリオです。

 日本の現実は今や、従来からの北のロシアの脅威、近時の南の中国からの脅威、そして今や西の北朝鮮からの脅威という三方からの切迫した脅威に曝されているという、幕末薩英戦争時、日露戦争時、対米英戦争時にも匹敵する「国難」の時を迎えているのではないでしょうか。この状態の10年後、20年後の姿を憂いずにはいられません。それで、今からでも遅くはないと思いますから、大学・研究機関、そして企業の研究部門においても「対北朝鮮独自制裁」対象「予備軍」の調査をおこない、対応(不正競争防止法違反の発見など)を真剣に考える時ではないでしょうか。このような用心深い対応は北朝鮮に限るものでないことは言うまでもないでしょう。

2017年(平成29年)7月24日

加計学園獣医学部新設安倍総理「首相のご意向」反映問題、衆院予算委員会閉会中審査

  加計学園の獣医学部新設問題の衆院閉会中審査がテレビで中継されています。民進党の議員が安倍首相の「ご意向」が新設に当たり影響したのではないかとの点について安倍首相に質しています。

 この問題はこれまで長い時間をかけて繰り返し議論されていますが、ご意向が働いたとも働かないともはっきりとした結論の出ないまま本日(2017年7月24日)もいわば「灰色の展開」が続いています。

 この問題に黒白をつけるには、議論が「首相の行為の法令違反に係る違法性」の有無をめぐってのものであることを与野党間で確認し、その進め方については次のステップを踏むべきではないでしょうか。第一は、議論の根拠となる「証拠」を確定させることです。様々な証拠について「証拠能力」があると認められるためには、その証拠についての「反対尋問cross examination」を経ていることが必要です。具体的には、様々に存在している書類について、文科省に残っている書類について相応する書類(同一文書)が内閣府においても存在しているもののみが「証拠能力」を獲得することができるということになるでしょう。一方においてしか存在しない書類はその内容について相手方の「承認」を得ていない、証拠価値の低い単なる参考資料にとどまるものということになるでしょう。

 第二に、安倍首相の「ご意向」が加計学園獣医学部新設に働いたと言いうるには、国家戦略特区諮問会議に同学部新設案が上程され、議論が行われて、最後に承認されたという一連のプロセスが明らかにされる必要がありましょう。安倍首相の意向があったというなら、同諮問会議の民間から選出された委員を含む委員間の議論と決定のプロセスに首相の意向が反映されたことの具体的証明がなされることが必要です。特に、民間から選出された委員が自由・自主性を持った議論をなしえなかったことの個別具体的な立証が必要となりましょう。

 この問題に興味を持ちつつも、現在の日本国には国家・国民の安全保障と日本経済の再活性化のための総合戦略の立案という喫緊の課題があることを考えますと、国会議員諸氏のエネルギーの向けどころが違うのではないかとの違和感を禁じえません。 加計問題を早急に処理し、必要なら問題を司直の手にゆだねていただきたいと思います。そして、衆参両院のエネルギーを日本国の国益に係る問題に注力していただくことを願わずにはいられません。


日英関係の未来―FT「冒険の精神で日経に加わる」から考える [日本の未来、経済、社会、法律]

FT、冒険の精神で日経に加わる」(読売2015年7月25日付け)  日経新聞は英フィナンシャルタイムズ(FT)を1600億円で買収しました。ドイツ・シュプリンガーに競り勝ったものです。これに対するFTの2015年7月25日の社説が「新たな親会社が我々の独立性を公言したことを歓迎する」「冒険と相互信頼の精神で日経ファミリーに加わり、輝かしき歴史に次の一章を書き加えることを楽しみにしている」と結んだとあります。

 この記事で連想したことは往年の日英同盟でした。アジアに植民地帝国を築きつつあった大英帝国は南進を続けるロシアを牽制するためにアジアの日本と相互防衛義務を含む日英同盟を締結することとしました。日本の軍隊が「北京の55日」で有名となった北清事変で略奪をしない規律ある軍隊であることを示したことに対する信頼が基礎にありました。大英帝国は新興日本をパートナーに値すると踏んだのです。

    FTは日経に買収されるにあたってこのような日英間の歴史に思いを致したでしょうか。英国に進出している日系企業や同国で学ぶ日本人研究者・学生の価値観・行動様式などについてとともに日英同盟にも、そしてあの大東亜戦争時のことについても、総じてさまざまな過去と現在の日本関係の事柄について、FT社および親会社内で、そしてイギリス産業界と政界においても白熱した議論が行われたに違い有りません。

     社説は「相互信頼の精神で日経ファミリーに加わり・・・次の一章を書き加えることを楽しみにしている」と言っています。そうであるとするとパートナーとして認識するということでしょうから、この買収劇は単なる二企業間のM&Aであることを超えて、日本と英国、そして英連邦諸国との間の「知識・情報の共有に係る世界戦略」の一環としての意味を持つものであるように思えます。

 今英国はEUへの加盟を続けるか離脱するかの大きな国運を書けた決断の時を迎えています。欧州大陸の盟主フランスは、アメリカとともに、二度までに亘って世界大戦を引き起こしたドイツを欧州に繋ぎ止めるために1952年に石炭鉄鋼共同体を設立し、さらに欧州経済共同体(EEC)を設立しました(1958年)。EECは仏独和解の象徴でした。しかしそれから55年の時を経て、大陸欧州の盟主はドイツであることが明白となっています。ギリシャの債務危機への対応を巡って主導権を握ったのはメルケル首相であり、オランド大統領ではありませんでした。このギリシャへの対応をめぐってEUでは今横暴なドイツに対する憤りが溢れています。このような大陸欧州の情勢の変化の中で、1983年にECEECの発展形態)に加盟したイギリスはEUECの発展形態)にとどまりドイツの風下に立つか、EUから離脱して独自の道を歩むか、この場合は更にアメリカ、日本と結んで新たな連合軸を作るかを判断する重要な岐路に立っているのです。

 他方、日米同盟は現在安倍首相の連邦議会演説以降盤石の体制となっており、未来の関係を考えるには、あの太平洋戦争で戦わなければならない必然性がどれだけあったのかの検証をする時に至っているように思えます。アメリカには対独戦争に参戦するために日米戦争を惹起した側面があったのではないか、ハワイを併合しフィリッピンを植民地化したアメリカは中国利権で日本と平和裏に妥協する道があったのではないか、などといった歴史検証ポイントが浮かび上がっているのです。

 ところで世界は今、(1)クリミア併合で世界から総スカンのロシアと南支那海の岩礁埋め立てでフィリッピン、ベトナム、マレーシアから総スカンをくらい、東支那海への野望で日本から対抗を受けている中国との連携ブロック(しかし「一帯一路政策」でロシアの中央アジアの勢力圏を浸潤する形で欧州と結ぼうとする中国とロシアの間には疎外感を深める両国の一時的利害関係からする連携はあっても、本質において対立するものであることは明白です。)、(2)ドイツを盟主とする大陸部欧州(EU)、(3)日米同盟、米英同盟、(4)ASEAN共同体、(5) 果てしない内乱状態を続ける中東地域、といったいくつかの利害関係が錯綜し、先の秩序の見えない「合従連衡の時代」にあります。

 以上の諸点から思慮し、「大英帝国」の進む道に想いをいたしますと、それは上記(2)(3)の 組み換えによる「21世紀の米英日連合」であるように思えます。21世紀において、日本は中国と対峙しなければなりませんし、ロシアの動向も気になります。イギリスは英連邦諸国としてのまとまりを維持しつつ、EUの 盟主ドイツとの関係を、NATOとの関係を含めて調整しなければなりません。アメリカには、一国平和主義に転換することの許されない、PAX AMERICANAを維持しなければならない世界史的使命が依然としてあります。

     これらの脈絡の中から出てくる最善の解決策は「21世紀の日米英・英連邦連合」ではないでしょうか。アングロサクソン諸国との誼(よしみ friendship)を通じることは明治憲法下においては皇室の基本姿勢でしたし、帝国海軍も英国式でした。日本国民の間にも大陸に面する島国で海洋国家である英国に対する親近感 も依然として少なからずあります。 

   日経によるFT買収劇をみていて、これにはやはり、単なる二企業間のM&Aであることを超えて、日経はそこまで考えてはいないと言うでしょうが、日本と英国、そして英連邦諸国、さらにはアメリカとの間の「情報共有世界戦略」の一環としての意味があるあるように思えます。武士道精神と騎士道精神の出会うところ、多くの冒険が行われ、必ずや「輝かしき歴史」の一章が書き加えられるに違いありません。FT発のユニークな日経記事が数多く掲載される日を楽しみに待つことと致しましょう。

 追記です。

 2017年10月2日産経新聞・岡部昇ロンドン支局長「日英インテリジェンス同盟を」は、訪日したメイ英首相が就任後初のアジア訪問に日本を選んだのは、十六万人の雇用を生み出す一千社の日本企業がEU離脱後の英国に留まることの死活的重要性ゆえに日本が重要と戦略的に判断したからだ、それに加えて、そのような経済面のみならず安全保障の面からの判断もあったと述べています。

安全保障における焦眉の点は中国との関連です。2017年7月に中国海軍は艦隊をバルト海に送り、ロシア領カリーニングラード沖でロシア海軍との合同軍事演習を行い、ロシアの脅威に怯えるバルト海沿岸諸国、ひいてはNATO加盟諸国に不安を与えました(同上岡部記事)。また、同日産経新聞は別の紙面で「国慶節に反旗 黒衣でデモ 香港民主派ら 司法独立に危機感」という記事も載せ、デモ参加者は国慶節(建国記念日)を祝う赤い中国国旗に対抗する狙いと報じています。

こうした記事からは、英国が喉元のバルト海での中国海軍艦船の軍事演習、また旧租借地・香港での一国二制度のなし崩し的解体などから中国からの「側圧」に直面しており、安全保障面で日本との連携を模索しているのではないかと推測されます。

英国の以上のような最新情勢の下で日英両国間の「情報共有世界戦略」は、一つの到達点に向かって具体的な歩みを始めたように思えます。その行き着く先は新「日英同盟」であり、それは「日米同盟」と連結されて(1)新「日米英・英連邦同盟」に成長するかも知れません。その時対峙するのは(2)「中・露とその同盟国群」であり、これらに(3)「独仏・大陸欧州同盟(EU)」が拮抗するのではないでしょうか。この構図は第一次世界大戦後の戦間期の世界情勢を思わせる合従連衡の構図です。アジア、中東、アフリカ、中南米の各諸国は以上の3極のどれかと密接に関係するか、局外中立を志向することに なりましょう。第二次世界大戦後の東西冷戦 の時代がソ連の崩壊で終わり、続くアメリカ一強の時代も揺らぎ、今や世界は混迷の時代に再び入っています。それは核兵器の拡散とテロリズムの時代であり、人類の未だ経験したことのない新たな時代です。

 

 


昭和天皇と杉浦重剛 日本近代史雑感(1) [日本の未来、経済、社会、法律]

宮内庁編『昭和天皇実録』(東京書籍 2015)第1巻、第2巻が出版されました。昭和天皇といえば、昭和20年(1945年)815日の「大東亜戦争」の終戦に係る「ご聖断」が最大のご事績でしょう。この「ご聖断」に関わっては、杉浦重剛のことが想起されます。

 

 明治憲法のもとでの立憲主義を厳格にお守りになられたご生涯の中でただ一度だけ、戦争継続を主張する陸軍大臣とポツダム宣言の受諾を容認するその他の大臣達の調整がつかず内閣が輔弼を行いえない状況のもとで、事実上の統治権の直接行使により同宣言を受諾せしめたのでした。このように、明治憲法のもとで立憲君主としての道を真摯に歩まれた昭和天皇に、そのあり方(帝王学)を東宮御学問所で倫理担当として七年間にわたりご進講申し上げたのが杉浦重剛でした。昭和天皇は若き日に学ばれたその「帝王の道」を一途に歩まれましたが、「ご聖断」はその実践の最大の場面であったと言えましょう。

 

大正3年から大正9年までを扱う「昭和天皇実録」第二巻には、東宮御学問所での昭和天皇に対する教育の実情が日誌形式で詳細に記載されています。その中で「日本中学校校長」という一介の教育者杉浦重剛のご進講した七年間二百数十回に亘る倫理学のことにも言及があります。杉浦重剛がご進講した倫理学がどのようなものであったのかは『倫理学御進講草案』(同草案刊行会 昭和11年)全1176頁で詳しく知ることができます。

 

 古川隆久『昭和天皇』(中公新書 2011)は、同書の分析から、「杉浦の天皇観・国家観」が「当時政府が認めていた天皇観・国家観」(その立場は伊藤博文『憲法義解』に依拠するものです。)とは「全く異なっている」と述べています。すなわち、前者は「天皇が統治するという日本の国のあり方は、個々の天皇の努力によって、国民を感化し、かつ国民からの支持を得」ることで続いてきたものであるとするのに対し、後者は建国の時から古今永遠に亘り「天皇の地位は絶対不変」とするものだからです。この点、しかしながら、明治憲法は、神聖にして侵すべからざる「万世一系」の天皇が大日本帝国を統治すると規定しており(1条、3条)、杉浦はこれらの明治憲法の規定を熟知した上でなお天皇の努力による国民の感化と国民からの支持を得ることの大事さを説いていたのではないでしょうか。杉浦が明治憲法の規定するところ(建国の時からの絶対不変)とは異なる考え方を有し、それゆえに政府との間に天皇観・国家観の違いを生じていたとは容易には考えられないことのように思われます。

 

学習院(院長 乃木希典大将)初等科を修了後進まれた東宮御学問所における帝王教育は次のようなものであったと藤樫準二『陛下の“人間”宣言』(同和書房 1946)は述べています。

「御学問所は東郷元帥が総裁として補導の重任に当たった。陛下はここで満七ヵ年、十六課目をご修得になったのである。その間、在野の名教育家天台道士杉浦重剛翁が倫理の進講に選ばれ、御学問所全科程の中心をなした。・・・老国士重剛翁は至誠一貫、全身全霊を王者の補導に惜しみなく捧げ尽したのである。翁を中心とする補導者の人達は至公至平、無私無欲ということを標準とした。従ってこのご学問所こそは『帝王学研鑽』の聖殿として、実に陛下の資性を磨き、知性と徳性を基礎づけ、満七ヵ年にわたり重い役割を果たしたのである。かくて陛下二十一歳の大正十年、欧州見学ののち摂政に就任され、初めて国務総攬の衝に当たられたのであった」。

著者の藤樫準二という方は毎日新聞記者で、宮内省詰記者二十五年の体験をもとに同書を書かれています(同書序による)。この記述で目を引くのは、杉浦重剛の倫理が御学問所全科程の中心をなし、補導者の人達は杉浦重剛を中心として帝王学の教授に当たったという叙述でしょう。明治憲法下の大日本帝国がいかに「帝王の徳」を基礎とする国であろうとするものであったかをうかがわせます。

 

「昭和天皇実録」第二巻663頁にはまた、いわゆる「宮中某重大事件」について十行に亘って叙述されています。その叙述からは、山県有朋の野望を打ち砕いた杉浦重剛の乾坤一滴の捨身の戦法の様子が生々しく伝わってきます。杉浦重剛にとっては、ここで退いては自らのご進講している帝王学が画餅と帰すとの強い危機感があったことでしょう。

 

杉浦重剛につきましては、その日本中学で学んだ一人に吉田茂元首相もいます。原彬久『吉田茂』(岩波新書)には、吉田茂が「国粋主義者杉浦重剛率いる日本中学で・・・薫染され・・・」た、「彼[杉浦]の儒教道徳と皇室崇拝が吉田に与えた影響は深大であ」った、「国体と教育の合一を目指す重剛の全人教育が、わずか一年間とはいえ、少年吉田茂にすぐれて『日本的なるもの』を覚醒させていったことは間違いない」といった叙述がみられます

 

こうしてみてきますと、杉浦重剛は、昭和天皇への倫理学のご進講などを通じて、近代日本の歴史における一定の欠くべからざる役割を担ったのであり、そのことの意義は看過されるべきものではないように思われます。


謎解き「AIIB(アジアインフラ銀行)」は中国の罠 [日本の未来、経済、社会、法律]

田村秀男「インフラ銀行参加論を斬る」(産経新聞2015329日付日曜経済講座)は、6月にも日本の参加の是非に結論の出されるAIIB(アジアインフラ銀行)について、以下のような情報を提供しています。

 

    1ガバナンス 

    総裁   中国元政府高官

    理事会 「トップダウンによる即断即決方式」  

    本部   中国北京

    主要言語 中国語

    2出資比率 中国  資本金の50%、最低40% 

  しかし、中国は現在「外貨準備高急減」で、国際金融 市場から借り入れ増加中であり、そのような現状では多額の出資金を負担しえない。

    AIIBの真の目的と姿

   (1)AIIBも、中国の国制上、他の政府組織、中央銀行、軍と同様、共産党中央の指令 下に置かれる。

   (2)AIIBの真の目的は、「中国主導経済圏」拡大、「人民元流通領域」拡大による「人民元経済圏」構築。そのための「手法」は、資金調達は国際金融市場でおこない、中国の過剰生産能力、余剰労働力を動員して、アジア地域における鉄道、港湾、道路などで有効需要を創出することである。

   (3)最終的に、AIIBは「共産党支配体制維持・強化」のための「先兵」である。

 

 このようなAIIBについての分析・評価に対しては、英仏独など欧州主要国も参加する、共産党支配機関になるはずがない、「バスに乗り遅れるな」といった内容の意見が一部の政治家や日経新聞等で強く、かつ不思議なことに示し合わせでもしたかのように一様に主張されています。AIIBの否定でなく、むしろ積極的に関与し、内部から建設的な注文を出していく道があるはずだというのです(田村・同記事他)。

 

  読売新聞世論調査(同新聞2015年5月11日付) によりますと、AIIBへの日本の参加見送りを適切とする人が73%,そうは思わない人が12%でした。安倍内閣不支持の人でも不参加が適切とする人が63%とのことですから、同銀行の問題点は国民の間で広く認識されていると言えることになりましょう。今日「企業統治」における民主性・透明性の確保は企業経営における必須の基本条件ですから、その部分で疑問のある組織体が是認されないことは当然といえば当然のことかと思われます。 

 

 そこでAIIBについて考えてみますと、その最大の問題点は「ガバナンス不在」で、それが中国の法制度そのものに起因している点でしょう。同国法制においては立法、行政、司法の上に党があり、三権は構造的に「分立」しえない仕組みです。それゆえ司法権の独立もあり得ません。従って、この銀行の現実の経営の姿は、必要に応じて総裁に対して党が指令する形となります。このことは、中国が、IMF等で普遍的な「主要出資国代表」による構成(理事会決定方式)を「西側諸国のルールが最適とは限らない」(田村・同上)と一蹴していることからも明らかでしょう。

 

AIIBのもう一つの問題点は、最大出資国の中国からにして出資金を調達しえず、融資は高利の借入に依存にする仕組みである点でしょう。この場合の融資規模は、アジアの社会資本(インフラ)市場が8兆ドル(約952兆円)規模と言われていますから、その需要に応えるために極めて巨額となります。この点、具体的数字としてはアジア開発銀行(ADB)研究所の試算があります。それによると今後10年間(2015-2025年)でアジア諸国の必要とするインフラ投資の内訳は電力などのエネルギー分野で4兆900億ドル、通信設備で1兆600億ドル、道路・港湾・鉄道・空港の交通運輸分野で2兆4千700億ドル、水・衛生分野で3800億ドルです(読売新聞2015年5月5日付)。アジア諸国がこれら分野の整備をその成長のために渇望している状況には切迫感があります。都市部の鉄道網の整備の遅れで交通渋滞と大気汚染が激しさを増している国々があることを思うだけでも、その緊急性は理解できる気がいたします。

 

AIIBは創設メンバーが57か国となりました。67か国・地域が加盟するADB(アジア開発銀行)に迫る数です。創設メンバーから「台湾」を外すなど恣意的で、かつ利害を異にする国・地域が多数参加する呉越同舟の不安定な船ですが、最大の売りは欧州勢の参加でしょう。欧州勢の参加は鉄道、港湾などでアジア市場参入を狙ってのものでしょうが、もう少し深い「戦略的意味」があるとの分析もあります。それは西尾幹二「中国の金融野心と参加国の策略」(産経新聞2,015416日付)です。 同氏は、ロシアのウクライナ併合でロシアの脅威に直面し、辛うじて対露制裁発動で対抗しようとしているEUが、AIIBに参加のロシアと中国との「分断」を狙って英独仏等のEU加盟国のAIIB参加を決めたと分析しています。確かに「ウクライナ東部の都市で戦闘再燃のおそれ」「露の長距離爆撃機が英国領近くを飛行」し英空軍緊急発進等と伝えられる状況下で(産経新聞2015416日付)、対露牽制を伝統的に戦略の基幹とする英国(例えば、1902[明治35]130日の日英同盟も南下するロシアをくい止めるためのものでした。)が率先して中国主導のAIIBへの加盟を決めたことには、そのような国家戦略があったといいうるような気がします。現在の英米がチャーチル胸像事件などを巡っての軋轢から決して一枚岩ではないことが背景にあるとも伝えられます。

 

ドイツの参加についても、米独間には盗聴問題をめぐって冷たい風が吹いていることが背景にあるとも伝えられます。ドイツの参加には、ドイツが融資の決定方式について「理事会決定方式」でなくとも良いといった立場をとる可能性がそもそもあるのかといった問題もあるでしょう。そのような連邦政府の立場は議会から是認される可能性はあり得ないように思えます。 今は、アジアのインフラ市場に参入できるかも知れないメリットと参加した後でガバナンス改革は出来るという甘い見込みが「様子見として」是認されているだけの状況なのではないでしょうか。いざ実際に理事会無視のトップダウン方式での融資先決定などが行われるようになりましたら 、アジア開発銀行、世界銀行等の他の国際金融機関にない意思決定方式は西側民主主義国家では決して是認されようはずもなく、批判の嵐に曝されるに違いありません。そのようななかでドイツが、悪評に耐えつつ、AIIBにとどまり続けることが出来るとは信じられません。

 

 AIIBの運営についても、同銀行では融資の審査基準は甘く、結果融資回収の「焦げ付き」を大量に出し、さらに「粗悪工事」「メンテナンス不備」で、10年を待たずに資金ショートや内部分裂を招くおそれが大でしょう。融資の審査における人権侵害や環境配慮に関する条件の位置づけなど「開発・援助に対する姿勢が日中ではまるで違っている」との指摘もあります(吉崎達彦「世評と異なるインフラ銀の不安」日経新聞2015422日付)。融資についてはさらに「利益相反と政治的利用」を懸念する指摘もあります。すなわち、利益相反については、中国がAIIBの資金を自国の公共事業に動員するのではないかという懸念、政治的利用については、中国の友好国に融資条件を緩くして融資するのではないかという懸念です。「投資ルール」が確立してなければ、これらの懸念は払拭できないというのです(伊藤隆敏「アジア投資銀行の行方(上)拙速な参加 見送りは妥当」(日経新聞経済教室2015年4月30日付)。もっともな指摘でしょう。英仏独、豪加はこれらの懸念が現実のものとなった段階で、「ガバナンス の改革」にも匙を投げて、逃げ出すに違いなく、台湾、韓国、ロシアは右往左往といったところでしょうか。

 

   したがって、日本は、米国とともにAIIBに関わるべきでないでしょう。米国は、中国に強硬姿勢をとる共和党が多数の議会で参加の承認がとれる可能性は少なく、AIIBの定款が決まり、実際の案件で融資がどう実行されるかを注視していくスタンスだと言われています[読売新聞201547日付]。日本の参加も自身が「ネギを背負った鴨」になるだけですから、「二兎を追うものは一兔も得ず」の諺の通りADBAIIBもと色気を出す場面ではないでしょう。ちなみに、日本の参加にはAIIBの資本金の十数パーセントに当たる数千億円規模の支出を求められ、かつ出資しても発言権はないという事態になると言われています[読売新聞201547日付]。そもそも、日本のような市場経済体制の民主主義国家では「理事会決定方式(多数決制)」以外の国際金融機関における意思決定方式を是認する事は考えられません。お金は出しなさい、口を出してはいけませんでは民主主義の基本原則に反しているからです。

 

   そこで日本としては、AIIBの挑戦を正面から受け止め、アジア開銀の構造変革をおこなうことが必要でしょう。具体的には、出資金を増やし、インフラ整備事業に融資対象を拡大し、ガバナンスを向上させて、AIIBと競争をする道を選ぶべきでしょう。

 

   インフラ整備事業における競争的資金の豊富さ、それこそがアジア諸国のインフラ整備にとって最大の利益であることは言うを待ちません。アジア開銀は、必ずこの競争に圧倒的な優位性を保持することができるでしょう。なぜなら同銀行は、豊富で安定的な資金の供給に加えて、アジア地域における危機管理を含む国際金融ノウハウを豊富に有していますし、さらに、そもそもその基本理念においてアジア地域における自由で公正な金融秩序の実現を目指しており、その方法は十分な透明性のあるものだからです。AIIBには、残念ながらこのような基本理念はなく、国際金融ノウハウもあるようには見受けられません。 

 

 上記のインフラ整備事業における競争的資金の提供に係るADBの動きが活発になってきました。すなわち、 資金量については2017年までに2015年比1・5倍に増額する、さらに民間メガバンクとの共同事業体制を構築する(官民パートナーシップ(PPP))、また融資に要する審査期間についても関係職員数の増員などによりできるだけ短縮する、といった改革案がバクー(アゼルバイジャン)でのADB年次総会で麻生副総理・財務省により表明されました(読売新聞2015年5月5日付)。

 

  最後に繰り返しになりますが、AIIBが日本に欲しいのは「資金と国際金融ノウハウ」のみであり、「経営関与」は最も忌避するところでしょう。日本は参加の是非を決するに当たっては、三顧の礼をもって迎えられた松下幸之助の工場が焼き討ちされたことをゆめゆめ片時たりとも忘れるべきではありません。そのことに対して賠償はおろか、一言の謝罪すら聞いたこともない「非情の国」なのですから。

  


「従軍慰安婦強制連行」は法的に可能か―秦郁彦氏ら米教科書出版社に訂正求める声明に思う [日本の未来、経済、社会、法律]

ドイツの教科書が「日本占領地域で20万人が売春強いられた」と記述している(産経新聞2015313日付)、アメリカの教科書が「日本軍は強制的に募集、徴用した」「人数は20万人」「年齢は14歳から20歳まで」「慰安婦は天皇からの贈り物」「大半は朝鮮及び中国の出身」「毎日2030人の男性の相手」「兵隊らと同じリスクに直面」「多数の慰安婦が殺害された」等と記述している(産経新聞318日付)といった報道が行われています。アメリカの教科書について秦郁彦氏らが同教科書出版社に事実関係の訂正を求める声明を出しました(産経新聞318日付)。そこで、日本占領地域で20万人が売春を強いられたといったことが、日本軍の「慰安婦」制度のもとで可能であったか否かについて当時の法律との関係で少し検討してみることにしましょう。

 

(1)慰安婦制度と関連する法令

 

「慰安婦」制度には二つの目的がありました。第一は「兵士の戦場での強姦を防止する」目的であり、第二は、兵士が性病を患えば戦力の低下となるので、そのような事態を防ぐ目的でした。慰安婦のいる慰安所は戦場における各師団毎に設置され、師団の移動に伴い、慰安所も師団所有のトラック等を用いて移動しました。また慰安婦には、軍医による定期程な健康診断・治療が行われていました。

 

慰安所が戦場や占領地における各師団毎に設置される一方で、戦場や占領地での軍人による強姦は厳しく禁止されていました。陸軍刑法(明治41年法律46号)は、陸軍軍人が占領地において「刑法又は他の法令の罪を犯したるときは之を帝国内に於いて犯したるものと看做す」と規定していました(同法4条)。これにより第一に、刑法の禁ずる「強姦の罪」は占領地における陸軍軍人に適用されました。刑法177条は、暴行または脅迫を以て13歳以上の婦女を姦淫したものは「強姦の罪」として2年以上の有期懲役を科すと規定していました。第二に陸軍刑法86条は、戦地または占領地において住民の財物の略奪を禁止し、略奪の罪を犯すにあたり「婦女を強姦したるときは無期又は七年以上の懲役に処す」と規定していました。

 

このように戦地または占領地における陸軍軍人による強姦は禁圧され、その他にも、人(未成年者を含む)の営利、猥褻(わいせつ)、国外移送等の目的による「略取及び誘拐」(刑法224、225、226条)、「監禁」(刑法220条)が厳しく禁圧されていました。

 

これら法令を自ら遵守し、また兵士 に遵守させることは将校に厳しく求められており、陸軍士官学校においてもそのための教育が行われていました。将校は、戦地または占領地において縦10センチ横7センチ厚さ5ミリの小冊子による「陸軍刑法、陸軍懲罰令」を作戦要務令等と並んで携行していましたし、法令違反が発見された場合には憲兵が捜査に当たり、処罰のために軍法会議が開かれました。

 

陸軍軍人による強姦、誘拐、監禁に係る法令違反がどの程度あったのか、その全体像はあまり明らかにされていないように思われます。何件かの法令違反事件は報告されています。日本陸軍における法令順守の実態については、文芸作品、たとえば五味川純平「人間の条件」、野間宏「真空地帯」、澤地久枝「雪は汚れていた」等からある程度推し量れます。

 

なお、「従軍慰安婦強制連行」問題では朝鮮半島での慰安婦問題が焦点となっていますから、その点について触れておくことにしましょう。明治43年(1910年)822日を以て大韓帝国は日本に併合され、その国民は日本国籍を持つこととなり、同地域の呼称は韓国から朝鮮へと変更になりました。そこで両地域間の法令調整のために「朝鮮に施行すべき法令に関する法律」(明治44年法律30号)が制定されました。同法において、朝鮮において法律を要する事項は朝鮮総督の命令で定めることができるとされ(これを「制令」といいます。)(1条)、既存の法律の全部または一部を朝鮮に施行するには「勅令」をもってするとされました(4条)。この結果、刑法については明治454月の制令11号「朝鮮刑事令」において内地の刑法、刑事訴訟法等刑事関係重要法令が朝鮮にも施行されることとされました。但し、殺人罪、強盗罪については旧韓国の「刑法大全」が引き続き適用されることとされました。大正6年にこれら両罪についても刑法が適用されることとされました。従って、朝鮮半島内における強姦、誘拐、監禁は刑法により禁圧されるもので、陸軍軍人によるものであってもなんら変わるものではありませんでした。

 

 (2)慰安婦の募集と契約関係

 

慰安婦は軍の意向に沿って募集されました。慰安婦の募集は、すでに遊郭で働いている婦女に対して行われ、また一般に新聞広告で行われました。

 

当時日本内地では、多くの女性が吉原をはじめとする遊郭で働いていました。これらの女性の最大供給源は北東北日本でした。地主・小作制度のもとで、冷害があると東北の貧しい小作人の家では娘が身売りをさせられました。娘たちは年季奉公を済ませると家に帰りました。多くの女性たちは、その給金をこつこつと貯めて親の借金を返し、自由の身となりましたが、なかには返済のため、さらに「慰安婦」の募集に応じて戦地に行く例も少なくありませんでした。

 

このような遊郭での仕事に係る契約は以下のような構造を持っていました。すなわち、まず「芸妓稼業契約」が結ばれました。「芸妓稼業」とは、「歌舞音曲で興を助けること」です。この契約には通常「前借金契約」が伴っていました。「前借金契約」とは、芸妓稼業をさせ、その収入で借金の返済をさせる「金銭貸付(消費貸借)契約」です。さらにまた、「芸妓稼業契約」は通常貞操提供行為をさせる「娼妓契約」を伴い、多くの場合「前借金」の返済のための「身代(花代)分配契約」を伴っていました。これは、貞操提供行為の対価を分配する契約です。

 

裁判所(大審院)は、芸妓稼業契約が前借金契約を伴っている点について、債務履行(前借金の返済)を強制することで間接に個人の自由を束縛する点をとらえて、そのような場合の芸妓稼業契約は公序良俗に反するものとして無効としました(民法90[公序良俗に反する法律行為」により無効)。また、「娼妓身代(花代)分配契約」は貞操提供行為それ自体を公序良俗違反の契約として無効としました(民法90条により無効)。

 

  なお、内務省の統計によれば、日本内地の遊郭における娼妓の数は昭和10年頃には52000人程度で安定していました。昭和12年には49000人となり、昭和14年には39000人と減っています。逆に遊客の数は、二千万人台から三千万人台に増えています。昭和13年における東京の芸妓の数は13648、酌婦の数は6628、娼妓の数は7124、遊客の数は6175213名でした。遊客数は大阪が900万人台で全国一位でした。参考までに記せば、芸妓については、昭和14年における全国のその数は79908名です。この数はその前の各年度においても安定的なものでした。

 

 

(3)戦地・占領地における慰安婦

 

「慰安婦」に係る契約は、裁判所で争えば、通常「前借金契約」を伴う、戦地での貞操提供行為を内容とする「娼妓契約」であることから、それ自体が公序良俗違反の契約で無効であると考えられます。但し、戦場での兵士の強姦防止という目的との関係で当然に公序良俗違反の無効な契約とは言えないという抗弁は可能であったと考えられます。裁判所で争われない限りで「慰安婦」に係る契約は社会的に許容されうるものでしたから、新聞等での慰安婦募集も行われました。新聞広告の例には、「慰安婦大募集、年齢 17歳以上30歳まで、務め先 後方○○隊慰安所、月収 300円以上(前借3000円可)、募集人員 数十名」が知られています。日本において、このような「人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだす人身売買契約」が禁止されるのは昭和31年(1956年)の売春防止法の成立を待たなければなりませんでした。

 

  「慰安所」における慰安婦たちの生活については、近時様々な書籍、月刊誌の特集等があり、次第に実態が明らかになりつつありますが、写真とデータの豊富な水間政憲「ひと目でわかる慰安婦問題の真実」(PHP2014年)を挙げておきましょう。

 

   なお最後に、「従軍慰安婦強制連行」問題では朝鮮半島での慰安婦問題が焦点となっていますから、各地の慰安所を利用しえた昭和19年度徴兵制施行後の朝鮮半島出身の朝鮮人軍人の数(昭和20年終戦時)を挙げておきましょう。陸軍中将2名、少将1名、大佐2名ほか佐官25名、尉官200名を含む陸軍軍人186980名、海軍軍人22299名、陸海軍軍属154907名です。

 

(4)慰安婦は「性奴隷(Sex Slave)」か

 

 アメリカなどでは慰安婦は「性奴隷(Sex Slave)」であったという言説がみられます。すでに述べましたように、「慰安婦」となる婦女を「強制連行」して「奴隷」としたということになりますと、婦女を「誘拐し」、移送して慰安所に「監禁」して、暴行または脅迫を以て13歳以上の婦女を姦淫する(強姦)こととなります。それゆえ誘拐、監禁の行為に及んだ陸軍軍人は誘拐の罪と監禁の罪に問われますし、慰安所を利用した陸軍軍人は強姦の罪に問われることになります。将校であれ、下士官であれこれらの行為に及んでいるとすれば訴追されて、軍法会議で有罪となり、懲役刑等が科されることになります。多くの将校、下士官がそのような刑に服するとなれば、戦争を続行することに多大の障害が生ずることになりましょう。

 

    慰安婦が強制連行により「性奴隷(Sex Slave)」とされたという論理は、当時慰安婦制度が誘拐、監禁、強姦その他として刑法違反で訴追されたという事実もなく、募集から就業までの慰安婦の実態が奴隷といえるものではなかったことも明らかであり、到底成り立たつものではないと言わざるをえないでしょう。

 

    結局、合法的とはいえ今日の人権感覚からすれば慰安婦制度は悪であり、ただ、より大きな悪(強姦)を回避するための戦場と占領地における必要悪であったということになるのでしょうか。言うまでもなく売春防止法のある今日の日本で、将来予想される戦争において慰安婦制度を再度設置することは考えられません。かつての「陸軍刑法」におけるような管轄権に関する規定を新設し、刑法を能うる限り厳格に施行することになるのでしょう。


ドイツの戦争責任と和解への道―メルケル首相の来日に思う [日本の未来戦略]

 ドイツのメルケル首相が39日に7年ぶりに来日しました。「日独、連携立て直し; 対ロシア  思惑一致 ; 対中国 日本に注文」がこれを報ずる新聞の見出しです(日経新聞2015310日付)。これらのうち「対中国 日本に注文」では、同首相が、ドイツはフランスなど近隣諸国との関係修復を少しずつ果たした、戦時中の東欧の強制労働者らへの個人賠償にも取り組んだ、「(ドイツは)過去と向き合ったから和解できた。(各国が)幸運にも受け入れてくれた」と安倍首相との共同会見で述べたと報じています。

 

この点、Japan Timesは「(メルケル首相が)ドイツの経験に照らして、戦争の過去と真正面から向き合う必要性を日本に思い出させた、しかしまた(but also)  近隣諸国においても和解(reconciliation)を達成するための役割が果たされるべきである(must do their part)とも言及した(signaled)」と報じています(Japan Times 2015310日付)。

 

メルケル首相の「(各国が)幸運にも受け入れてくれた」という安倍首相との共同会見での発言、また「和解は隣国の寛容な振る舞いがあったから可能になった」という39日の都内での講演での発言について、「メルケル発言、韓国で波紋」という記事で、韓国外務省報道官が「寛容」発言について「まずは過去に対する真の反省がなされなければならない」と強調したと報じられています(日経新聞311日付)。

 

メルケル首相の発言内容については、すでにのべたようにJapan Timesの記事が「(各国が)...受け入れてくれた」「隣国の寛容な振る舞いがあったから可能となった」という記事より一歩踏み込んだ発言があったことを伝えており、国際社会にはこのJapan Timesの英文記事のように伝えられたと思われます。このJapan Timesの伝える同首相の発言からは、過去の「反省」が「寛容」の前にあるべきであるといったニュアンスは特段には感じられず、和解には双方からの同時的歩み寄りが重要である、そしてドイツはそのようにして近隣諸国と和解に至ったと述べることがメルケル首相の今回発言の「真意」であったと解されるように思えます。

 

ところで、メルケル首相の発言内容を知ると、ドイツにおける戦争責任と和解がどう実現されたのかに興味がわきます。日本の東京裁判に相当するドイツでの戦争責任を訴追した軍事法廷はニュールンベルク裁判として知られますが、ドイツにおける戦犯裁判は、英米ソ仏四国等の連合各国の単独裁判とニュールンベルクに設置された国際軍事裁判所における裁判との、日本に関する裁判(東京裁判)と同様の二本立てでした。国際軍事裁判所における裁判は同裁判所条例6条で規定する戦争犯罪の次の三類型について行われました。(1)「平和に対する罪」 これは、個人及び政府、政党等の団体による諸「侵略戦争の共同謀議」、準備、発起を違法とするものです。(2)「戦争法規違反の罪」 これは、交戦法規および慣習の侵犯を違法とするものです。(3)「人道に対する罪」 これは、一般人民に対する絶滅を目的とする大量殺戮、奴隷化を違法とするものです。この(3)の罪は、ドイツ国粋社会労働党(ナチス)のユダヤ人、非ナチ分子に対する迫害、その追放に関する政策と実行行為を対象とするものです。

 

ドイツ戦犯起訴状で起訴された被告は22名で、全被告について上記三範疇の訴因全部につき競合的に全員に責任ありとして死刑を求刑されました。八か月にわたる裁判の結果は、絞首刑とされた者12名、終身禁固刑3名、禁固刑202名、禁固刑151名、禁固刑101名、無罪3名でした。

 

ドイツが上記三範疇の訴因につき特に連合国から訴追されたのは「人道に対する罪」でした。これはひとえに強制収容所におけるユダヤ人絶滅行為に対するもので、ドイツは戦後イスラエルに対して謝罪と賠償を長年に亘り行いました。これと並行してポーランド人絶滅行為についても、ポーランドとの和解に尽力しました。さらにフランスとは、欧州石炭鉄鋼共同体結成によりドイツの石炭・鉄鋼業をベネルックス3国、フランスなどのそれら産業と統合させる形とEEC(欧州経済共同体)を結成することで和解にこぎつけました。

 

この「人道に対する罪」の訴追が中心となったドイツ(「平和に対する罪」も政府および政党等の団体によるユダヤ人絶滅計画を重要な内容とする「侵略戦争の共同謀議」を対象とするものでした。)と「平和に対する罪」(満州事変以来の軍事行動そのものを「侵略戦争の共同謀議」として訴追の対象とするものでした。)が中心となった日本では「戦犯裁判」といっても重心の違いがあることはつとに指摘されているところです(「戦争法規違反の罪」は共通)。日本にはユダヤ人絶滅行為のようなホロコーストはなかっただけではなく、「命のビザ」で知られる杉原千畝領事によるユダヤ人救出活動があったからです。

 

また日本とドイツの間には、たとえば「メルケル首相発言 単純な比較は慎むべきだ」(産経新聞2015312日社説)が述べるように、相当の手法の違いがありました。日本では、戦後補償問題については、例えば「日韓請求権・経済協力協定」(昭和40年)にみられるように、各国との間で法的に、そしてそれに伴って経済的にも最終解決をはかりました。また慰安婦問題でも「アジア女性基金」による元慰安婦への償い金支払と歴代首相による元慰安婦の境遇への「深い同情の表明」で区切りをつけてきました。

 

★New追記

上で述べましたとおりメルケル首相は、フランス等との歴史的和解についての自らの「経験」と、そこから導き出された双方向の和解のプロセスが成功の鍵であるという「理論的一般論」を語っています。そこからさらに進んで日本の固有の問題にこの一般論を「あてはめる」ことは慎重に避けているようにみえます。

 

ところで、メルケル首相は今回の二日間の日本滞在中に民主党の岡田克也代表との会談にも臨んでおり(310日)、その会談について岡田代表が「(メルケル首相が)日韓関係について和解が重要だと述べた」と紹介したことについて、ドイツ政府が「日本政府がどうすべきかについて発言した事実はない」と日本政府に連絡をしてきたとのことです。そのような説明がドイツ政府からあったことを菅義偉官房長官が313日の記者会見で明らかにしました(産経新聞2015314日付)。一方、岡田代表は313日に記者団に対して「解決したほうがいいという話はあった」と重ねて語り、ドイツ政府と岡田代表の間の発言に食い違いが生じています(同上記事)。

 

日韓の間には現在「(戦時の)慰安婦」について見解が全く異なる問題があり両国間の歴史戦、外交戦となっています。そのような中で、ドイツの出版社クレットが出版した中等教育用の歴史教科書に「日本の占領地域で20万人の婦女子が軍の売春施設で売春を強いられた」とする記述があることが分かったと日本外務省が明らかにしたと報道されています(産経新聞2015314日付)。

 

「(戦時の)慰安婦」については米カリフォルニア州グレンデール市の慰安婦像を巡る訴訟なども起こされており、日米間でも敏感な問題となりつつあります。法治国家のお手本のようなアメリカで、争いのある他国間の基本的人権に係る歴史問題について、当事者の一方の話を聞くだけでCross Examinationも経ていない証拠に基づいて事実の有無の判断をしているような印象(あたかもDue Processが保障されていないかのような印象)が日本で広まりつつあるからです。明治維新で開国し、西欧諸国の司法制度を懸命に導入した日本は、明治時代のロシア皇太子襲撃事件で大審院が司法権の独立を見事に果たし、その後の努力もあって法の支配と司法権の独立は今日日本国民の最大の誇りです。そのような日本からみるとアメリカの法の支配と司法権の独立(法治国家)はどうなっているのだろうと、疑問を抱かすにはいられないからです。

 

まして今度は日本が法制度導入のモデルとしたドイツにおいても、アメリカに対するのと同様な疑問が生じる可能性があります。

 

以上のような全体状況の中で、老練な政治家で宰相の地位にすでに九年間あり、今後も続投する可能性の高いメルケル首相が、具体的に日韓関係について和解が重要だと述べるような明白な内政干渉行為に及ぶでしょうか。歴史の中ではドイツも三国干渉で遼東半島の清国返還を日本に迫るという内政干渉をしたことはありましたが、程度の差はあっても外交における最大の禁じ手の一つを今日のドイツの宰相が犯すとは正直思えません。それでは、普段内政干渉を受けることがいくら常態のようになっている日本にしても、ドイツよお前もかといった感じになってしまいます

 

岡田代表は、メルケル首相の「理論的一般論」の提示を受けて、日本の状況への「当てはめ」にまで話が及んでいると、明確な両概念の区別の自覚の必ずしもないままに、ご自身の主張に引き付けて理解されたのではなかったのでしょうか。

 

 


日韓関係の将来ー朴大統領の演説に思う [日本の未来、経済、社会、法律]


 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は2015年3月1日、ソウルで開かれた3・1独立運動記念式典で演説し、「日本が勇気を持って率直に歴史的真実を認め」るように望むと述べました(産経新聞2015年3月2日付)。昨年の演説では「過去の過ちを認められない指導者は新たな未来を開くことができない」と述べていました。

 韓国はかねてからこのように「歴史を忘れた民族に未来はない」などと述べて日本を批判してきましたが、日韓間には「竹島不法占拠問題」「従軍慰安婦強制連行問題」「教科書歪曲問題」という3点セットの歴史問題があり、韓国はこれらを同国が望むように解決することが「歴史的真実を認め」ることだと主張しているわけです。

 しかし、あらゆる歴史的史資料が韓国の主張とは反対の事実をしめしており、「歴史を忘れた民族に未来はない」のは韓国自身のことであると主張する日本にとって、日韓国交正常化50年の2015年を区切りとして「より成熟したパートナーとして韓日が新たな歴史を築いていくことを望」まれても対応するすべはありません。 

 とはいっても、隣国同士であり、経済関係を初めとして観光から学術交流まである両国の関係がこのままの冷たい、相互不信を募らせる関係であって良いとは言えないでしょう。

 

    それでは、どうすればよいでしょうか。名案はありませんが、さしあたり、欧米諸国においてよくみられる考え方、すなわち国家・政府と個人とを分けて考え、個人関係においては両国市民間の関係をできるだけ維持し、発展させるとともに、国家・政府間の関係については徹底した相互の主張を闘わせて国益を追求していくことが必要ではないでしょうか。まず、「従軍慰安婦強制連行問題」については歴史戦、外交戦、法律戦ということになりましょう。次に「教科書歪曲問題」ですが、これは歴史戦、思想戦で、いわゆる「植民地支配」の実態解明と評価もその中核的問題として検証が必要となりましょう。

 さらに「竹島不法占拠問題」については、これは実態としてはすでに日本領土に対する軍事侵攻が行われていると認識されるべきもので、北方領土問題と同レベルの問題としてとらえる必要がありましょう。この問題の行き着く先は、英国とアルゼンチン間のフォークランド島紛争のように軍事力の衝突により決着をつける事態となる可能性も十分ありますが、米国の干渉・仲介によりできる限り回避されなければならないでしょう。なぜならば、現状において日韓両国には同一陣営内で抗争をしている場合ではない共通の脅威が常在するからです。

 

   以上の諸問題に係る歴史戦、思想戦、外交戦、法律戦、武力戦には経済戦、科学技術戦も深く関わるでしょう。一方で手段を択ばない形で外国も巻き込みつつ激しくぶつかり合い、歴史戦等を闘いながら、他方ではモミ手で商売を行い、さらには技術ライセンス契約も結ぶといったことは日本国内ではありえないことで、そのようなことが国際関係においては可能であるとも考えられないからです。

 

 そもそも今、日本と韓国の間に存在するのは「国益の衝突」です。たとえば「従軍慰安婦強制連行問題」で韓国が求めているのは「法的謝罪」であり「経済的賠償」です。決して日本人の「勇気」や「率直さ」といった個人レベルの倫理・道徳感の発露・表明ではありません。歴史的「真実」もcross examinationを経て確定された証拠に基づく事実関係を前提とするものではなく、韓国がこれが「歴史的真実」だといったものを日本が「はい、そうです」と認めよというだけのもので、決して対等な国家間の関係を前提とするものではありません。したがって、「日本が勇気を持って率直に歴史的真実を認めるように望む」といった情に訴える言い回しは方便であり、交渉術の一つにすぎないと理解されるべきものでしょう。

 

     以上のような基本的理解に立ったうえで両国は、まず次の二点を行ったらどうでありましょうか。

 第一点は、1965年の日韓基本条約、請求権協定を両国において再度精読することです。ここに第二次大戦後の日韓関係の戦後の出発点が凝縮されています。同条約の目的、内容を確認したうえで、同条約の韓国経済と韓国社会のその後の発展に果たした役割の実証的検討を行うことです。

 第二点は、「竹島不法占拠問題」「従軍慰安婦強制連行問題」「教科書歪曲問題」という3点セットの歴史問題について、それぞれの主張の根拠となる史資料の提示と評価を、政治的主張とは切り離して、行うことです。

  これら二点は、おそらく行いえないでしょう。そうであれば、おそらく両国において唯一なしうることは、日韓関係を「法の支配」の原理のもとにおき、両国関係に係る国際条約・国際協定の解釈・運用により両国関係を今後律していくという未来志向の態度をとることで合意することでしょう。 日本も韓国も「法治国家(a state ruled by law)の理念を掲げた国であり、司法権の独立を誇りとしている国ですから、これは可能なのではないでしょうか。その場合 には、現状においても韓国は「従軍慰安婦強制連行問題」について「法的謝罪」を求めているわけですが、これを日韓基本条約、請求権協定上の紛争処理規定により日本政府に請求することが筋となります。これを日本政府の「勇気」や「率直さ」によって行わせようとするのは、それらによって条約の条文解釈を変えることは出来ないので、道義上ないし人権意識上からするお詫びなどは別として、筋違いということになります。

 

 最後に一言すれば、ビスマルクの言という「経験に学ぶものは愚かであり、歴史に学ぶものは賢い」という言葉は、日韓関係においても有効ではないかと思えます。

  

   三十年戦争を終結させたウエストファリア条約が今日の西欧諸国家関係を作り出したように、世代から世代に受け継がれる激しい国家総力戦の果てに日韓両国間に妥協の時が醸成され、和解の時が来るのではないでしょうか。韓国のよく言及するドイツについていえば、独仏間における1958年のEEC(欧州経済共同体)結成の時の両国関係はお互いに「そこにあるから、しょうがない」という諦観から出発するものでした。決して理想に燃えていたわけではありません。千年を超えて戦い続けた両国、特にフランスはドイツとの戦いに疲れ果てていたのです。パリからドイツに向かって放射状に伸びた道路はすべて一直線で、フランス軍が、ドイツ軍がパリに到達するよりも一刻でも早くライン川に到達するためのものでした。そして今でも、ライン川沿いのドイツの街にはフランスを向いた普仏戦争の戦勝記念碑が誇らしげに建っていますし、フランス側には空堀で戦車をくい止めようとする要塞群がその姿をとどめています。互いに用心は怠っていないということでしょうか。


 ともあれ自力で、韓国が豊かな経済社会を作り上げ、世界に冠たる法治国家を築き上げ、国際社会のリーダーとして西側諸国の尊敬を集める日の来るとき、日韓に和解の時は来るのではないでしょうか。その時の来るのが百年を超えるものでないことを、密かに願わざるを得ません。

追記 

2016年も「3・1独立運動」記念日が巡ってきました。朴大統領は、加害者と被害者の歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらないと言って慰安婦問題で日本に一方的譲歩を求める従来の立場を横において、「歴史を直視する中で互いに手を握り、新時代を切り開くことを願う」と未来志向の日韓関係を強調しました(2016年3月2日付読売新聞社説「「反日」から協調重視に転換か」)。「歴史の直視」は変わりませんが、「互いに手を握り、新時代を切り開く」、すなわち元慰安婦を支援する財団の韓国による設立と日本のそれに対する10億円の拠出などを内容とする昨年暮れの「日韓合意」を着実に実行することを求める内容です。

日本政府はこの10億円の拠出という約束したことは誠実に実行することは当然ですが、そのことは日本大使館前等の慰安婦像の撤去や外国での「慰安婦プロパガンダ」の中止などを意味するものではないでしょう。もし韓国政府がこれらの点を含めて日本との間で本当に「新時代を切り開く」というのであれば、1965年の日韓基本条約の精神に立ち戻って、それを再確認するところから始めるものでなければならないことは自明です。国としての関係はこの条約によるものでしかないのですし、これまでの壊れた関係の修復には壊れるに至ったのと同じだけの時間が必要だからです。


取材日誌(2015年2月21日) [日本の未来、経済、社会、法律]

   Japan Legal News というブログを開設しました。週一回程度は記事を載せたいと思いすが、雑事の多い日常生活の中でそのようなペースを守るのはなかなか大変そうです。そこで、日々接している新聞、テレビ、インターネット、月刊誌、週刊誌の記事、さらには信ぴょう性の高そうな「噂話」にいたるまでの中から関心を持ってピックアップした知識・情報を日誌スタイルでできるだけ書き留めてみようと思います。いわば備忘録です。

 2015年11月3日(火)-文化の日・日本国憲法公布の日 

 2015年2月21日土曜日関東南部地方晴れ というわけで、今日は初日です。ブログの記事のためのニュースソースは主として新聞です。各新聞にはそれぞれの新聞の編集部による編集工程が入っているので、知識・情報としては最も信頼のおけるものだと思います。むかし一度だけある全国紙の書評欄の記事を依頼されて書いたことがあります。それだけの経験ですが、紙面が作られていくプロセスを垣間見ることができました。その時の記憶ですと、原稿を書く期間は一か月で、提出した原稿には担当記者から相当数の修正意見があり、議論はしましたが概ねその意見に従って修文をしました。印象に残っているのは、依頼された原稿の文字数の厳守を求められたことです。本当に一字のオーバーも許されませんでした。原稿の締め切り日や字数を守るという習慣のほとんどない身には、この点での自由が全く利かなかったことに大変新鮮な感じを受けました。この時は結局、字数の調整で用意した顔写真のスペースが削られました。今思うと、字数を増やさず顔写真を載せてもらっておけばよかったかなと思います。

 新聞は、読売、産経、日経、Japan Times の四紙で、毎朝530分にはポストからもってきて、それぞれの端の一か所をホッチキスで留め、四紙をこの順序で積み重ねて一気に読み進みます。手元に置いておくのは、鋏、糊、京大カード、A4の白紙です。そして、デンマーク製の小さなSafety Magic Cutterも用意します。これはカッターで紙面一頁の厚みで切ることができます。切り取った記事はその時の気分で京大カードやA4白紙に貼り付けます。この作業は一時間程度で7時ちょっと前の朝食の時間までにはやめます。日により四紙の全部に目を通すことはできませんが、その時は作業はそこまでです。旅行に出かけたときなどで溜まった新聞には、この作業はしません。情報は四紙全部で15記事ぐらいあれば十分という態度で、新聞とこの作業に支配されるような羽目に陥らないように気を付けています。四紙の中で少しユニークなのはJapan Timesで、時事用語を英語で何というのかを知ることができる他に、他の三紙にない記事を時々載せます。配信を受けている通信社などが違うのでしょう。購読料は少々高いですが、お気に入りです。

 このJapan Timesは、配達店が朝日と同じだったので20149月末から朝日の代わりに購読するようになったものです。朝日は、親子三代に亘り購読してきた新聞で、我が家では新聞といえば朝日でした。週刊朝日も配達されていました。中学生の頃父親に進められて水上勉「飢餓海峡」などもこの週刊誌で読んだ記憶があります。また大学生のころには朝日ジャーナルは今でいうキオスクで必ずと言ってよいほど買って読んでいました。高橋和巳「邪宗門」はこれで読んだのではなかったでしょうか。結婚してからは一時朝日グラフも配達をうけていた記憶があります。アエラも必ずキオスクで買っていました。このように朝日漬けの我が家で朝日を購読しなくなったのは、ある日購読していた朝日、読売、産経、日経のなかで、朝日だけが家人に全然読まれていないことを発見したことがきっかけでした。家人は読売、産経の方が面白いというのです。そんなことで、昨年夏には「従軍慰安婦」報道事件があり、朝日の報道姿勢に正直ガッカリしたのです。社長、編集長の記者会見にも気落ちしました。証拠に裏付けられた事実、その分析によるストーリー、社説などでの日本政府や日本社会の取るべき方向・方針の提示といったジャーナリズムの王道を歩むことを期待しているのに、事実と評価の間の因果関係を疎かにしたまま、方向・方針の提示が安易に行われているような印象を持ってしまったのです。朝日はこれ以降私にとって様々な報道の一つになってしまいました。いまでもネット上の朝日は読みますが、one of them としてです。いつの日かもう一度朝日が、木鐸として私のもっとも信頼する報道を行う新聞となってくれる日が来ることを願わないではいられません。

 前置きが長くなってしまいました。さて本題の知識・情報の日誌スタイルでのピックアップですが、どのような編成にするかを考えました。さしあたり日本国憲法の条文の配列にならってみようと思います。もちろん、気ままに書いていきたいので、その構成から外れることは時折以上にあると思います。配列は原則、(1)天皇、(2安全保障ー戦争の放棄、(3)国民の権利・義務、(4)三権分立ー国会、内閣、司法、(5)経済ー財政、(6)地方自治ということになりましょうか。これらに総括として(7)歴史ー古代、中世、近現代と(8)地域別・国際関係ー米、欧、アジア、特に東南アジア、中国、韓国・北朝鮮、ロシア等を加え、さらに(9)読書日記もおきましょう。

(1)天皇

(2)安全保障ー戦争の放棄 

辺野古訴訟 国と県和解」(産経2016年3月5日付)

  見出しに首相、知事と会談、移設堅持しつつ工事中止し再協議とあります。「参院選対策で譲歩 安保に禍根」と見出しは続きますが、その通りでしょう。裁判所の和解勧告があったのですから、同じ日本人としていつまでも角を突き合わせているのではなく、いったん水を入れて頭を冷やし国益とは何か、安全保障とは何かについて再度突っ込んで良く話し合てみましょうというスタンスでしょう。さすがに歴史に名を残す大物宰相をめざす安倍総理らしい「負けて勝つ」作戦とお見受けしました。状況は、(1)辺野古への移設がなければ普天間を米軍が使い続ける、(2)中国(中華人民共和国)の尖閣諸島奪取の野望と同諸島領海侵犯等の行動はますますエスカレートし、石垣市等市町村在住の日本国民の不安は増すばかりとなります。中国の太平洋進出という野望は長期戦略の一環ですから、その空海の軍備増強は続き、数十年後、早ければ十年後にでも日本海軍との洋上決戦は必至です。その時に米国議会が参戦の決議をなしうるかには不安があります。日本海軍単独での海戦となる可能性も相当程度ありそうです。

  近時、1980年代以降の中国の行動を見ていると、昭和期日本の歴史をなぞっているように見えます。いまは満州事変から満州国建国のあたりでしょうか。日本国内では5・15事件から2・26事件に至る頃で、議会政治は終焉し軍部独裁の体制ができつつありました。経済は大恐慌で東北では凶作と娘の身売りが横行していました。若き軍人たちが「昭和維新」への焦燥感を募らせたであろうことは想像に難くありません。

 (3)国民の権利・義務

 (4)三権分立ー国会、内閣、司法

 (5)経済ー財政

 (6)地方自治ということになりましょうか。

 (7)歴史ー古代、中世、近現代

 戦争責任ー日本とドイツ2015年3月10日火曜日関東南部地方晴れ  本日は昭和20年3月10日の東京大空襲70年の日です。また、ドイツのメルケル首相が3月9日に7年ぶりに来日しました(日経新聞2015310日付)

第二次世界大戦とアーノルド・トインビー」夕刊フジ2015年3月17日付)藤井厳喜「日本に魅せられた西洋の知性2」は、アーノルド・トインビーを取り上げ「英国人であるにも関わらず日本の戦争に客観的;西洋は無敵ではないことを示した」として興味深い叙述をしています。トインビー曰く、アジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人が神のような存在ではなかったことを日本人は人類の面前で証明した、これはまさに歴史的な偉業であった、「日本人は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである」(英オブザーバー紙1956年10月28日付)というのです。このような評価は、満州事変からいわゆる「大東亜戦争」に至る日本の戦争の歴史を「侵略戦争の共同謀議」と規定した極東軍事裁判判決の対極をなすもので、この数十年の時代をどのような史観で、どのような事実を摘出して、具体的にどのように描くかについて学界の「通説」とは異なる興味深い描き方を示すものです。

 (8)地域別・国際関係・国際政治ー米、欧、アジア、特に東南アジア、中国、韓国・北朝鮮、ロシア

「FT、冒険の精神で日経に加わる」(読売2015年7月25日付け)日経新聞は英フィナンシャルタイムズ(FT)を1600億円で買収しました。ドイツ・シュプリンガーに競り勝ったものです。これに対するFTの25日の社説です。そのなかで「新たな親会社が我々の独立性を公言したことを歓迎する」「冒険と相互信頼の精神で日経ファミリーに加わり、輝かしき歴史に次の一章を書き加えることを楽しみにしている」と結んだとあります。

 この記事で連想したことは往年の日英同盟でした。アジアに植民地帝国を築きつつあった大英帝国は南進を続けるロシアを牽制するためにアジアの日本と相互防衛義務を含む日英同盟を締結することとしました。日本の軍隊が北京の55日で有名となった北清事変で略奪をしない規律ある軍隊であることを示したことに対する信頼が基礎にありました。大英帝国は新興日本をパートナーに値すると踏んだのです。FTは日経に買収されるにあたってこのような日英間の歴史に思いを致したでしょうか。英国に進出している日系企業やイギリスで学ぶ日本人の価値観・行動様式などとともに日英同盟にも、そしてあの大東亜戦争時のことにも、さまざまな日本関係の事柄がFT社内で、そしてイギリス産業界と政界においても話し合われたに違い有りません。それで、この買収劇は単なる二企業間のM&Aであることを超えて、日本と英国、そして英連邦諸国との間の「情報共有世界戦略」の一環としての意味を持つものであるように思えます。

 今英国はEUへの加盟を続けるか離脱するかの大きな国運を書けた決断の時を迎えています。欧州大陸の盟主フランスは、二度までに亘って世界大戦を引き起こしたドイツを欧州に繋ぎ止めるために1952年に石炭鉄鋼共同体を設立し、さらに欧州経済共同体(EEC)を設立しました(1958年)。EECは仏独和解の象徴でした。しかしそれから55年の時を経て、大陸欧州の盟主はドイツであることが明白となっています。ギリシャの債務危機への対応を巡って主導権を握ったのはメルケル首相であり、オランド大統領ではありませんでした。このような大陸欧州の情勢の変化の中で、1983年にEC(EECの発展形態)に加盟したイギリスはEU(ECの発展形態)にとどまりドイツの風下に立つか、アメリカ、日本と結んで新たな対抗軸に加わるか重要な岐路に立っているのです。

 日米同盟は現在盤石の体制となっており、あの太平洋戦争で戦わなければならない必然性がどれだけあったのかの検証の時に至っているように思えます。アメリカは対独戦争に参戦するために日米戦争を惹起した側面があるのではないか、ハワイを併合しフィリッピンを植民地化したアメリカは中国利権で日本と平和裏に妥協する道があったのではないか、といった歴史検証ポイントが浮かび上がっています。

 世界は、(1)クリミア併合で世界から総スカンのロシアと南支那海の岩礁埋め立てでフィリッピン、ベトナム、マレーシアから総スカンをくらい、東支那海への野望で日本から対抗を受けている中国との連携ブロック(しかし、一帯一路政策でロシアの中央アジアの勢力圏を浸潤する形で欧州と結ぼうとする中国とロシアの間には疎外感を深める両国の一時的利害関係からする連携はあっても、本質において対立するものであることは明白です。)、(2)ドイツを盟主とする大陸部欧州(EU)、(3)日米同盟、米英同盟、(4)果てしない内乱状態を続ける中東地域、といったいくつかの利害関係が錯綜する合従連衡の時代にあります。

 「大英帝国」の進む道は上記(2)(3)の 組み換えによる「21世紀の米英日連合」であるように思えます。21世紀において、日本は中国と対峙しなければなりません。ロシアの動向も気になります。イギリスは英連邦諸国としてのまとまりを維持しつつ、EUのドイツとの関係を調整しなければなりません。アメリカは、一国平和主義に転換することは許されず、PAX AMERICAを維持しなければならない世界史的使命があります。これらの脈絡から出てくる解は「21世紀の米英日連合」ではないでしょうか。


日本への失望抱くドイツ」(日経新聞2015322日付) シリーズ「地球回覧」 の記事です。この記事で、現状の分析は、(1)日本が、震災後ドイツに追従して脱原発に踏み切らなかった、(2)日本が、借金を重ねて景気を支える危うい国のように映る、(3)有望市場の中国と歴史認識で争い続けているなどから、「いつしか日本は不可解という空気が出来上がり、対日観が急降下」し、他方でドイツは「欧州の盟主として地歩を固めた」、こういった背景のもとで英国放送協会(BBC)などのまとめた世論調査で、2014年に「日本が世界にいい影響を与えている」と考えるドイツ人は28%、逆に「悪い影響を与えている」との答えが46%であり、対日感情がこれより悪い国は中国と韓国しかない、そして、今のドイツに「日本を理解しようという雰囲気はない」というものです。日本がドイツとの信頼関係を再構築するには、日独首脳のシャトル外交の積み重ね、日本経済の構造改革の成功、官民の内向き志向からの脱却などが必要と結論づけます。

   この記事の論旨にはいろいろと問題があります。第一は、ドイツに限らずどこかの国について分析する場合には、両国の市民・個人のレベルと国家・政府のレベルを分けて複眼的に分析してほしいということです。国家・政府のレベルでは、各国が民族自決、内政不干渉などの諸原則のもとで「国益」を追求することは国際社会の現実であり、対日観が時々刻々と変化することは自然なことです。仮に今のドイツに「日本を理解しようという雰囲気はない」としても、それはドイツの選択の結果ということで受け入れればよいだけのことでしょう。あたかもそのような結果について日本に非があるかのような論調は、もし記事がそうであればということですが、到底受け入れることのできないところでしょう。原発、財政、対隣国関係についての日本政府の立場への自己の批判を、ドイツでの言説を借りておこなうという論理構成であるとしましたなら、そのような修辞の技法は新聞 のあり方としてもう卒業にしてほしいところです

また、そもそも今のドイツには、必ずしも「日本を理解しようという雰囲気はない」というわけではない他の一面も現実にあるのではないでしょうか。両国の市民・個人のレベルで、今日の交通革命と通信革命の結果共有される情報量やface to faceの交流の機会は格段に増えておりますし、そのことに伴う「地球市民意識」といった共通の意識が両国市民間に醸成されつつあるといったこともあるのではないでしょうか。

第二に、現状の分析の(1)~(3)ですが、(1)に関して、福島とは異なり日本の技術で製造された「女川原発」は震災時運転マニュアル通りに停止しており、このことは世界に冠たる日本の原発に係る安全技術として称賛されてしかるべきではなかったでしょうか。(2)の日本の財政赤字に関しては、国債の大半が円建てで発行されており、償還に不安はないこと、わたくし共の個人資産が1400兆円に上っていることや、日本が世界一の債権国であることから、日本経済の信頼性は揺るがないものであることをドイツ人が知らないだけのことではないでしょうか。確かにドイツでは、日本国の財政赤字の数値についての知識はあっても、全体の構造が全くと言ってよいほど知られていないような気がします。(3)の近隣諸国との歴史認識を巡る争いですが、日中間に関しては、中国政府が「日中平和友好条約」(1978年)を読み返し、日中間の平和と友好の精神を再確認し、また日本の対中経済・技術支援への感謝の気持ちを再確認(松下幸之助を三顧の礼をもって迎えたことなど)してもらえばよいだけのことでしょう。日本は1947年の日本国憲法の前文と本文の規定に従って平和国家への歩みを確固として進めてきており、それは今後ともいささかも揺らぐものではないでしょう。なぜなら、日本は先の対英米戦争において、その戦争目的を達成しており(GATTWTO体制の構築など)、再び戦火を交える理由は全くないからです。韓国に関しては、朝鮮半島に冷戦構造が残っており、また過去の植民地「支配」への怨念なども残っている現状を踏まえて、日韓基本条約による和解の地点に常に立ち返りつつ、未来志向の関係を共に築くよう呼びかけ続けることが必要でしょう。

ドイツにとって「日本は不可解」なのは、日本にとって「ドイツが不可解」なのと同様のことで、これを緩和するための日本の戦略としては、両国の「市民・個人のレベル」での情報の共有・交流の促進を50年単位ではかることで良好な関係を築くことしかないような気が9致します。そもそもでいえば、日本人とドイツ人は、秩序意識、精神構造などでなにとはなしに似ており、互いにウマの合う民族同士ではないかという気がします。日本は近代の歴史において、アングロサクソン国と結んだときはうまく行き、ゲルマン国と結んだときは戦に負けており、国益的にはアングロサクソン国と結ぶ道が正解と思えます。しかし、秩序意識、精神構造、さらには武士道精神(騎士道精神)などでもなにとはなしに似ている感のあるドイツ人とは盟友の契りを結びたいような気さえ致しますし、個人的には、現に短期間住んだだけのドイツ国ですが、固く第二の故郷と心に思う懐かしいところでもあります。

「竹島の日」2015年2月22日:第10回目の竹島の日。「竹島の日を定める条例」2005年(平成17年)3月25日島根県条例第36号)2条において「竹島の日は、2月22日とする」と定められていることによる。2015年は竹島が島根県に編入されてから110年となる。同島には韓国による「不法占拠」が1952年以来続いている現状があり、同条例は「竹島の領土権の早期確立を目指す」と規定する。

「産経新聞ソウル支局長 出国禁止解除、帰国」産経新聞2015年4月15日付。韓国政府は、2014年8月7日以来8か月に亘る出国禁止措置を2015年4月14日付で解除、同人は即日日本に帰国した。今回の出国禁止措置は、産経新聞ウエッブサイト掲載のコラムが「名誉毀損罪」に当たるとして「在宅起訴」され、現在も公判継続中の事件に係るものである。同コラムは、2014年4月16日のセウオール号沈没事件当日、パク・クネ大統領が元側近の男と会っていたとの噂を取り上げたもので、この噂の内容自体は事実でないとの司法判断が下されている。残る争点は「コラムの公益性」の有無にある。日本政府は、出国禁止措置に関わって、外交問題として韓国政府に抗議し、また韓国との関係を紹介するホームページから、法の支配、言論・報道の自由といった民主主義国家としての「基本的価値を共有する」国との文言を削除した。本件に係る証拠は確保され、同支局長の公判出廷は確約されているにもかかわらず、出国禁止措置、それも超長期の出国禁止措置を取ることは人身の不当な拘束であり「基本的人権」の制限であるという判断をしたからである。日韓は、2015年6月22日に国交正常化50周年となる。日韓基本条約を締結したにも関わらず、これまで日韓関係は本件にみるごとく「一事が万事の異形の関係であり」、条約を結んだ意味はないことは明らかである。

(9)読書日記

 興味ある記事一覧です。「余命三年時事日記」このブログの記事は、後に検証することが楽しみになるくらい刺激に満ちています。高山正之「変見自在」(週刊新潮連載)この辛口・辛辣でしかも濃厚なコラムの連載は週刊新潮にとって洛陽の紙価を高めるものでしょう。読売新聞「四季」(毎日2面左下)これは折々の和歌や俳句に写真と注釈と加えた小コラム。これも、読売新聞の紙価を高めるものでしょう。読売は真っ先に見る新聞ですが、一面をさっと見た後はこの四季をチラッと見るのが何よりの楽しみです。


日本農業の未来戦略―伊藤元重氏の所説に思う [日本の未来戦略]


 伊藤元重「農業の競争力高める転機」(産経新聞2015216日「日本の未来を考える」)において、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉における農業分野の交渉で「農業だけがその例外でなくてはならないという理由はない」と主張されています。「その」とは競争により生産性の上昇が実現でき、日本経済全体の底上げが進むということです。

 ここでの理論立ては、大規模農家(「プロ農業家」「より生産性の高い農業者」)の生産性が上がれば、競争力の低い中小零細規模農家(「補助や保護でかろうじて農業を続けている人たちや兼業農家の人たち」)が農業市場から退出しても、全体として農業の生産性が上がるからよいというものです。

 

 このような理論的仮説にたって現実の農業政策が行われれば、言われるとおりの所期の目的は達成されるかもしれません。農業法制(農地の所有、農産物の流通などに係る法制)の規制緩和、税制優遇、財政出動などが緊密に組み合わされて一貫して実施されればでです。

 しかし、このような中小零細規模農家の「市場退出論」、もう少し有り体に言えば「切り捨て論」は本当に日本の未来戦略となるものでしょうか。 第一に、大規模農家は米、欧州、豪、亜細亜の農産物輸出国との農産物を巡る価格と品質の競争に勝っていけるのでしょうか。どこまで行っても埋めることのできそうもない生産規模格差とそれに起因する価格差をどのようにして現実に埋めるのでしょうか。第二に、中小零細規模農家の退出した後の「地方の農村共同体」の姿を描けるのでしょうか。地縁・血縁で結びつけられた安定的な地域社会、そこで受け継がれ、守られてきた伝統文化の維持、発展はどうなるのでしょうか。「地方の農村共同体」こそが、単なる農産物生産のシステムということ以上に、日本社会における高度の社会的統合の基盤そのものなのではないでしょうか。

 安全保障をアメリカに依存し、エネルギーを海外に依存する日本が、このような農業政策の結果、食料までもその依存度を極端に高めてしまい、20年、30年のうちに独立国としての存立が根底から脅かされるおそれは本当にないのでしょうか。

 日本農業の未来を考えるなら、実は考える方向は逆なのではないのでしょうか。大規模農家の競争力ではなく、中小零細規模農家の競争力をどう高めるかという問題ではないのでしょうか。「かろうじて農業を続けている人たちや兼業農家」の「市場退出」をはかるのではなく、これらの農家の農業を高度化・ハイテク化する農業政策こそが選択されるべきなのではないのでしょうか。

 中小零細規模農業を維持・発展させ、農業分野への若人の新規参入を促すためには、農業労働を機械化・ネットワーク化により合理化し、農業を六次産業化(農業、製造業、サービス業の一体化、すなわち1+2+3=6次化)させ、さらには消費市場との連携をハイテク利用により強化するなどが必要でしょう。これらを官民挙げて振興し、中小零細規模農業者を核とする地方農村の「再生」をはかることこそが、日本の明るい未来をその基底において切り開くのではないでしょうか。

 近年の交通網の発展、通信網、とりわけインターネットの充実は、かつての東京と地方の生活、情報、文化における「格差」をほぼ消滅させたと言いうるでしょう。地方に居住しながら「都会的生活」を享受することが格段と容易になっているのです。むしろ農村に生活しながらでも、東京その他の国内大都市をも越えてパリ、ロンドン、ニューヨークなどの世界の大都市と生活感覚を物のレベルにおいても、情報・文化のレベルにおいても共通のものとできる段階に達しているともいえるのではないでしょうか。


 こうして、繰り返しになりますが、農業における日本の未来は、プロ農業家、最終的には企業参入による生産性の高い農業を目指すことによってではなく、現在「かろうじて農業を続けている人たちや兼業農家」を、情報通信網と交通網の高度発展を前提として、生産と流通・消費の総合的ネットワークにより結びつけ、農業における技術革新と高度の「協業化」を促進させること、これらを目的とした機動的「農業政策」からこそ開けてくると言うべきではないでしょうか。